乗りこえる思想

先崎彰容、未完の西郷隆盛

AI革命の最中でも、向こう側の世界でも変わらず通用する精神が必要です。そのひとつが西郷隆盛の思想です。西郷は「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢや」と話したそうです(南洲翁遺訓十一条)。西欧列強が文明国といっても植民地政策で自国の利益を優先して侵略しているのはむしろ野蛮な行為だと断じているわけです。それはこれからのAI革命においてもあてはまることです。技術が進歩しても人間性を失うような使われ方をしたら意味が無いということですね。

大槻ケンヂ、サブカルで食う

生産性革命が成し遂げられた場合、人類は無料のエネルギーを享受し、無料の食品や、無料の住居、無料の日用品を取得できます。その場合、好きなことだけやって生きて行くことになります。働かなくても良くなった場合に何をなすべきか、しっかり考えておかないといけません。大槻ケンヂさんは、競争社会のばかばかしさに気付いて、もうひとつの道を探った先駆者なんですね。ベーシックインカムが始まる前から、ベーシックインカムの生活を始めているんです。

菅原千代志、アーミッシュへの旅

逆説的なことですが、シンギュラリティの向こう側の生活は、テクノロジーの影響を受けないという意味で、太古の生活に近いものとなるはずです。テクノロジーが完成し、空気のようなものになるのです。アーミッシュは現代文明を拒否するプロテスタントの一派ですから、シンギュラリティが来ても関係無く従来通りの生活をし続けるでしょう。著者はアーミッシュの生活に惹かれて取材を続けている写真家の方です。美しい写真と、アーミッシュの暮らしを淡々と綴る文章です。否定も肯定も感じられず、読者に考えて貰おうという意図が感じられますが、それでもまあ、現代文明の矛盾を解くのに参考にしたいという意欲は感じられます。そういう生活もあるのか、と考えるきっかけになりますね。これから少しずつ生活が変わっていきますから、事前に予習しておくことは大事なことです。

吉野源三郎、君たちはどう生きるか

最近マンガ化されてリバイバルヒットしている「君たちはどう生きるか」ですが、改めて読み直すと、これはシンギュラリティを乗りこえる場合の思想にもなり得るなと思いました。子供時代から大人時代への切り替わりの際には、自分中心ではなく、地動説を発表したコペルニクスみたいに客観的なものの見方が出来なければならない。勇気を持って、人間社会の理想像を追求していかなければならない。なんていうことが読み取れると思います。

松本零士、君たちは夢をどうかなえるか

宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道777で有名な松本零士さんが80歳になって、就学期の若者への応援メッセージを綴ったものです。7歳の時に、マンガやアニメーションを創りたいと志し、18歳で単身、小倉から東京まで24時間の夜行列車の旅で、松本零士さんは興奮と感動で一睡もできなかったそうです。このようなドラマチックな人生を歩める人はそんなに居ないと思いますが、夢を追いかけることの大切さを真摯に教えてくれる本だと思いました。

どうしたら松本零士さんみたいに明確な夢を持てるのかと不思議に思いましたが、収録されている「昆虫国漂流記」を読んで少し分かる気がしました。5歳とか6歳とかの頃に思いっきり自然の中で遊び尽くしたことがひとつの原因となっている気がしました。感受性を豊かにして、様々なものを吸収して、更に興味を広げていって、それで、ひとつの夢に到達したのかなと思いました。遊ぶことが大事なんですね。小学生でも、中学生でも、高校生でも、大学生でも、大人でも、無心に遊ぶことが大事だと思いました。

ジェフベゾス他、巨大な夢をかなえる方法

スーパーイノベーター達の卒業式講演集です。12人のスピーチを読んでそれぞれ感動しましたが、共通している点もあると感じました。ひとりずつ印象に残っているポイントを引用しますので、その共通点を感じ取って下さい。

※アマゾン創業者ジェフ・ベゾス「考えに考えた末、私は安全ではない方の道を選び、自分の情熱に従うことにしました。このときの「選択」を私は今、とても誇りに思っています。」

※グーグル創業者ラリー・ペイジ「私たちは世界を変えるために何をしたらいいのでしょうか?一言でいえば、”楽ではないけれどワクワクすること”に常に挑戦することです。」

※ヤフー創業者ジェリー・ヤン「ここで皆さんにお伝えしたいのは、チャンスは逆境のときにやってくるということです。必ず将来、良いことが起きるのです。」
「生まれつき高いIQや才能を持っているからといって、成功できるわけではありません。成功するには、一生懸命努力しようという志が必要なのです。マルコム・グラッドウェルは、著書「天才!成功する人々の法則」の中で、”1万時間の法則”というコンセプトを紹介しています。どんな分野においても世界レベルの専門家になるには1万時間(あるいは1日3時間で10年間)、必死で働き、実践を積まなくてはならないという法則です。」

※ツイッターCEOディック・コストロ「まずひとつめです。大胆に考えて、勇気ある決断をして下さい。キーブラーエルフ(妖精のお人形)の工場にいる自分を想像してみて下さい。皆さん、何をおそれて自由に発想しない?ふたつめは、次にどんなセリフを言えば良いか、次に何をやらなくてはいけないか、と未来を心配しすぎないで下さい。人生に台本はありません。台本の無い人生を生きて下さい。今この瞬間を生きて下さい。この瞬間を生きて下さい。この瞬間を生きて下さい。」

※アリババ創業者ジャック・マー「根気強く、努力を続けて下さい。常に楽観的に考えて下さい。変化を歓迎して下さい。」

※フェイスブック女性COOシェリル・サンドバーグ「自分が好きなことで社会に貢献できるということは、とてつもなく贅沢なことなのです。それが見つかれば、自分はなんて幸せなんだと思うことでしょう。」

※ペイパル・テスラ創業者イーロン・マスク「皆さんも会社を創業したら、最初にやるべきことは「試作品」をつくることだということを覚えておいて下さい。」

※無料教育カーンアカデミー創設者サルマン・カーン「まずは、信じられないほど、前向きでいてください。前向きになれるなら、妄想の世界に浸っても構いません。人から批判される。周りからバカにされる。こんなことがあると、エネルギーが奪われてしまい、本来の能力を発揮することができなくなります。この状況に対抗するためにはどうすればいいか。その秘策は「笑うこと」です。体の中のすべての細胞をつかって、思いっきり笑ってください。」

※俳優トム・ハンクス「皆さんも朝、不安な気持ちでベッドから起き上がることもあるでしょう。でもそういうときは自分が強くなるチャンスだと思ってください。一日の始まりは、新たな信念が生まれて、花開くチャンスでもあるのです。不安に気をとられるか、信念を育むか。これは皆さんが選択することです。しかし、皆さんはイェール大学で学んだ優秀な人たちです。その瞬間がきたら、どちらを選ぶべきか分かるでしょう。」

※俳優メリル・ストリープ「私が幸せを感じるのは、様々な役柄を演じる俳優という仕事を通じて、世界について学び、世界の人々に共感するときです。」

※映画監督マーティン・スコセッシ「芸術家の人生をトータルで考えれば、たまに訪れる成功の数よりも、試練の数の方がずっと多いのです。単なる仕事として見れば、全く割に合わないのが芸術家なのです。それでも、芸術家でありつづけるのは、天から才能を与えられたからです。」

※バークシャーハサウェイ副社長チャールズ・マンガー「もうひとつ、皆さんの人生をダメにするもの。それは、嫌な人間関係です。不快な人間関係を避けましょう。特に直属の上司に対して、「この人は尊敬できない」、「自分の模範にならない」と思ったら、その人のもとで働くのは極力避けてください。無能な上司のもとで働けば、自分もダメになってしまうからです。」

やはり、イノベーターの巨人達は、「楽観的で」「正直で」「熱心な」人たちなんですね。自分達が心地よい環境を得るために努力を惜しまず、そして得た幸福を良く味わう人たちなのですね。社会の変革が大きくなる時代にも、従来の常識が通用しなくなる時代でも、彼らの精神を参考にして、我々凡人であっても、好奇心を大切にして新しい世界に羽ばたいていけば必ず、新天地に到達出来るということを示しているようです。

野口悠紀雄、知の進化論

「かつて知識は秘密にされていた」というのが第一章のテーマです。物心ついた時からwikipediaに親しんでいる21世紀の子供たちには意外なことかもしれません。

ユヴァルノアハラリさんの「ホモデウス」に描かれた「データ至上主義、データ教」の教義と似たような考え方が「知の進化論」を突き動かしてきたのかなと思いました。

知識人たちは自分達の権益を守るためにひたすら知識を隠し通してきました。旧約聖書はヘブル語、新約聖書もギリシャ語で書かれていましたが、4世紀に古代ローマ帝国のラテン語に翻訳され、一般の人々が聖書を英語で読めるようになったのはイングランド王ジェームズ1世が「欽定訳聖書」を刊行した1611年以降のことだそうです。様々な職業ごとの知識はギルドによって独占され、聖書の教義はカトリック教会が独占し、学問は大学が独占し、それぞれ門外不出の措置が採られていたのです。

知識の爆発(情報革命)は、活版印刷技術の発達によって始まりました。中国唐代に木版印刷が始まり宋代には木版の活版印刷も普及しましたが、これとは独立に欧州では15世紀にグーテンベルクによる金属活版印刷が発明され、ドイツ語の聖書(グーテンベルク聖書)が出版され、大量に流通し始めたのです。これが、教義を独占してきたカトリック教会への批判を行う宗教改革の武器になりました。

知識を独占してきたギルドや大学から、知識を一般市民に開放したのは、ダランベールらフランス百科全書派の出版活動でした。百科全書第1巻は1751年に刊行され、1780年までに全35巻が完結したのです。知識を市民に開放し、専制君主と聖職者の横暴を白日の下にさらし、1789年のフランス革命バスティーユ襲撃事件へと繋がる原動力になりました。

この本には記載されていませんが(ジェレミーリフキンの「限界費用ゼロ社会」には詳述されています)、19世紀にも電気通信や無線通信や新聞事業の展開で情報革命は進行し、20世紀にインターネット通信の発明により情報革命は更に加速しました。野口悠紀雄氏によると、インターネットは、パケット通信と、htmlという2つの技術によって支えられているということです。パケット通信は、情報を細切れのパケットに分割して送ることにより、通信線を専有せず、空いている時間に情報を送ることができます。htmlは、文章を見やすくデータ化することができ、ハイパーリンクという別のwebページにジャンプする機能があり、情報閲覧の効率が飛躍的にアップしました。

最大手だった百科事典ブリタニカは、マイクロソフトのCD-ROM百科事典エンカルタに駆逐され、やがて、無料閲覧できるwikipediaが、これを駆逐しました。情報はどんどん拡散し続けています。著者はそのような時代に、「大学の教育、入試体制が、IT時代に追いついていない」のが問題であると提言しておられます。大学の存在意義や、大学入試の在り方も問われているというわけです。2011年京都大学のネットカンニング事件に付随して、「例えば非常に長い英文を読ませて感想を書かせるような問題なら、IT機器での対応は難しいでしょう」という問題提起をされていて、なるほどなあと感心しました。知識を得る方法も、wikipediaを読んでお終いにしてしまうのではなく、自分自身の頭で考えて知識を消化することが大事だと思いました。wikipediaに書いてないことが大事なんですね。

情報革命は、今も続いていますし、どんどん拡大していくことでしょう。人工知能の進化により、知識の在り方が変わると述べられています。「知識を得ることそれ自体に意味がある」ということです。日常生活に必要な知識は人工知能に任せて、人間は自分達の楽しみのための知識探求に専念できるかもしれないと予測しておられます。自分が楽しいと感じる体験や知識は何か、それについて今から留意しておいた方が良いかもしれません。それはシンギュラリティ後の生活で最も大切なことなのです。

マイケ・ファン・デン・ボーム、世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと

シンギュラリティ革命は幸福革命です。人類は幸福度を高めることの重要性に気付き始め、経済学、心理学、政治学など様々な分野で幸福研究が始まり、OECDや国連や大学など、定期的に幸福度ランキングを公表する機関も増えてきました。

このランキングを見て「どうしてドイツ人は経済的に恵まれているのに幸福度が低いのだろう」と疑問に思ったひとりのドイツ人女性が、幸福度ランキング上位13カ国を旅して、危険な貧困地区も厭わず、様々な場所で300人以上にインタビューして書かれたのがこの本です。幸福に関する様々な示唆に富んだ本です。経済的要素は幸福感の6分の1に過ぎないことや、自然との共生が大事であること、他者との共感が幸福の重大要素であること、過去や未来を考えず今という瞬間を味わうべきことなどが述べられています。

スペンサー・ジョンソン、チーズはどこへ消えた?

世界で2800万部、日本でも400万部突破して、Amazon史上最大の大ベストセラーです。原作は1998年出版で、日本では2000年に発売され、ちょうど「ドットコムバブル崩壊」で混乱期にありましたので、人々のニーズに合致していたのだと思います。当時、アマゾンがネット書店として日の出の勢いで成長し、何でもかんでもインターネット化が進行して、20世紀の既存の商売が変化を求められていた時代でした。21世紀の今は、インターネット化のその次、AI化の時代に直面しているわけですが、20年振りに読んでみて、心理学的アプローチは今回も有効だなと感じましたので、印象に残ったフレーズを御紹介したいと思います。

・ホーが提案した。「もうあれこれ事態を分析するのはやめて、見切りをつけて新しいチーズをみつけたほうがいいと思うんだが」 「だめだ」ヘムは言い張った。「なんとしても真相を究明するんだ」・・・これは小人のホーがチーズが消えた後に仲間のヘムに新しいチーズを探しに行こうと誘ったのに、ヘムが拒否する場面です。これを客観的に読むことにより読者自身の行動を軌道修正することができるのです。

・「たぶん」ヘムが言った。「腰を下ろして、事態を見守っていたほうがいいんじゃないかな。いずれチーズは戻ってくるはずだ」・・・チーズが消えた後も小人2人は「チーズが戻ってくる」と期待して待ち続けていたんですね。これを読むことにより読者は「変化の不可逆性」に気付くというわけです。

・だが、時間がたつにつれ、本当に新しいチーズがみつかるかどうか疑問に思えてきた。食べられる量以上のものを手に入れようとしているのではないか、つまり力に余ることをやろうとしているのではないかという気がした。・・・これは新しいチーズを探し始めた小人ホーの述懐です。新しいチーズを探し始めているときには、無駄なことをしているのではないかという疑問が常に湧いてくるということを教えてくれます。また、チーズは食べるものですから、食べられる量以上のチーズを得る必要は無いという当たり前のことにも気付かされます。

・それから、元気はつらつと機敏に迷路を走りまわった。まもなくあるチーズ・ステーションで立ち止まり、胸をおどらせた。入口近くに、新しいチーズの小さなかけらがいくつかあったのだ。・・・非常に示唆的な文章だと思いました。まず、新しいチーズを探すときは元気よく機敏に動き回る必要があるということ、それから、新しいチーズが見つかる時は、いつも、ほんの少しの小さなチーズとして見つかるということですね。新しい大きな変化の波を捕まえるときには、常に、小さな予兆を捕まえるということです。

スペンサー・ジョンソン、『迷路の外には何がある?』 ――『チーズはどこへ消えた?』その後の物語

世界的ベストセラー「チーズはどこへ消えた?」著者スペンサー・ジョンソン博士の遺稿が、「迷路の外には何がある?」です。「チーズはどこへ消えた?」で、変化に対応して新しいチーズを探しに出掛けたホーに対して、旧来の慣習に縛られて新しいチーズを探すための一歩を踏み出せない可哀想な人、という対比のために描かれていたヘムの、「その後の物語」です。絶望に打ちひしがれたヘムが立ち上がり、前に進んでいく時に、どのように考えて、どのように克服したのかを教えてくれる話です。勿論、素晴らしいハッピーエンドになっています。この本は、「希望の本」です。

非常に巧妙な比喩描写により、いつの時代の誰にとっても、自分自身が直面している変化への処方箋になり得る物語になっています。

管理人の印象に残ったフレーズを御紹介します。

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・あなたは考えを変えることができる。新しい信念を選びとることができる。→最初の物語でホーを見送ることしかできなかったヘムでも、リンゴを食べる初体験を経て「チーズ以外にも食べられるものがある」と知り、考えを変えられることを知り、元気が出てきました。

・ホープは肩をすくめた。「私も行くわ。かまわなければ」→新しい冒険に踏み出せば新しい仲間が見付かる、ということをジョンソン博士は教えてくれています。

・あなたが考えたことすべてを信じてはいけない。→変化を乗り越えるような突破口となり得る考え方を思い付いても、その第一印象は良くないかも知れません。「そんなことうまく行くはずがない。必ず失敗する。」と考えても、それを鵜呑みにしてはいけないという教えなのだと思いました。

・あなたが信じることに限界はない。→自分で考えているよりも、あなた自身には柔軟性があると教えてくれます。

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最後の部分に、ジョンソン博士が書いた自分の腫瘍(膵臓ガン細胞)への手紙が紹介されています。なんと、ジョンソン博士は、自分の本で紹介した「変化への対応方法」を、ヒューマニズムに満ちた最高の形で実践してみせたのです!これはまさしくシンギュラリティを乗り越えるための作戦になるとおもいました。

ヴィクトール・フランクル、池田香代子訳、夜と霧(心理学者、強制収容所を体験する)

アウシュビッツ強制収容所から生還した精神科脳外科医で心理学者の収容所体験の心理分析です。小中学生の課題図書「アンネの日記」はよく読まれていますが、中学生以上はこちらを読むべきです。20世紀の世代はある程度予備知識もありますし著者もそれを前提に書いている部分があるのですが、21世紀の子供達は少し予習が必要かもしれません。何をどう予習すればよいのか分かりませんが、いきなり読んでも意味が分からない可能性が高いのです。ホロコースト映画を何作か観てみると良いかもしれません。

フランクルによると、強制収容所に入れられた被収容者は、いつ解放されるか分からない、それが無期限に続くという意味で、精神的に「無期限の暫定的存在」に置かれると言います。内的なよりどころを持たない、精神的に脆弱な者では、精神的な崩壊現象が始まってしまうのだそうです。フランクルによれば失業者にも似たような精神状態がみられるということです。

だとすれば、強制収容所における被収容者の精神状態を学べば、シンギュラリティ時代の技術的失業にも備えることができるかもしれません。勤務先の個別事情による失業や、個人的な事情による失業、経済循環の中における不況期の失業と、シンギュラリティ革命による技術的失業は根本的に性質が異なります。普通の失業であれば、転職先を見つけることができますし、不景気の失業であっても数年以内に好況期が戻ってくるのですからそれまで耐え忍べば再度就職することができます。しかし、シンギュラリティ革命による技術的失業は、脳のニューロン作用をデジタルコンピューターの機械学習が全て置き換えることが可能になることによる失業ですから、「他の会社」や「他の業界」というものは存在しないのです。

フランクルは、被収容者の精神状況は、例えば隔離された結核療養所患者の「未来を失った」精神状況にも通ずるものがあると言います。それはトーマス・マンの小説「魔の山」に描写されているということです。日本人だったら堀辰雄の「風立ちぬ」でしょうか。フランクルの「夜と霧」にもいくつか文学的な場面描写がありました。夕日に染まった幻想的な雲を見て仲間が「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」と言った場面や、解放から数日後に花の咲き乱れる野原をひとり歩き見渡す限り人っ子ひとりいないところで立ち止まりがっくりひざまづくいた時、「あなたはふたたび人間になったのだ。」と実感した場面です。「医師、魂を教導する」の場面も感動的です。これらはとてもドラマチックな場面ですので是非読んでみてください。これはまさに一世一代の私小説というやつです。実際の体験なので迫力があるのですね。

さて、絶望的な状況に置かれた場合に大切な態度をフランクルから学びましょう。1944年のクリスマスから1945年の新年にかけて解放されるのではないかと期待した被収容者の希望が打ち砕かれ、落胆した被収容者が多数死亡したということです。生きる希望を失い「生きていることにもうなんにも期待がもてない」と感じてしまえば精神的にも肉体的にも死んでしまうというのです。それを回避するために、フランクルは言っています。

ーーー引用開始

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。

ーーー引用おわり

主格逆転の発想、ちょっと東洋哲学、仏教思想の世界に入っているような境地で驚きます。まるで禅宗で何年も修行した禅僧のような境地です。一神教キリスト教の世界で生まれ育ったフランクルがこの考えに到達するのはどれほどの体験があったのか驚くしかありません。

シャルル・ワグネル、簡素な生き方

第1章、複雑な生き方

19世紀フランスでは、「現代人ははてしない複雑さにがんじがらめになっており」、幸福が失われている。心の掟に従い、変化していく状況においても、人間らしさを失わず、精一杯生き、目的に向かって歩き続けよう。

第2章、簡素な精神

簡素さは、外見とは関係ない。どんなライフスタイルでも、どんな社会的地位でも、身分が低かろうが高かろうが、簡素な人とそうでない人が居るものだ。エゴイズムや虚栄心を捨て、自分が授かった材料で何をつくるのかが大事である。

第3章、簡素な考え方

自分について考えすぎない方が良い。自信を持ち、希望を持ち、善良であることが大事である。

第4章、簡素な言葉

情報が多いほど分かり合えなくなる。新聞を読むほど謎が深まる。言葉を操るほど信頼が無くなる。大切なことほど簡素に表現しよう。

第5章、単純な義務

目の前の人に対する単純な義務を果たすだけで良い。犯人捜しより問題解決を優先させ、愛情という不屈のエネルギーに従おう。

第6章、簡素な欲求

生きるための必要最小限を知り、欲求の奴隷になってはいけない。

第7章、簡素な楽しみ

喜びは自分のうちにあり、楽しむためにお金は必要ありません。

第8章、お金と簡素

大切なものに値段はつかない。お金で人生を複雑にしないで。

第9章、名声と簡素

有名になりたいという熱病から覚めよ。

第10章、簡素な家庭

家族の思い出は、侵すことができず、分けることもできず、譲り渡すこともできない資本であり、「聖なる預かりもの」です。

第11章、簡素な美しさ

いちばん美しいのは自分らしい装いである。

第12章、簡素な社会

互いを比較するのをやめよ。知識も権力も富も社会に奉仕するための「預かりもの」である。

第13章、簡素のための教育

子育ては、親のためでも、子のためでもない。子供が簡素な人生を歩めるように、厳しく、質素に育てましょう。

結論

簡素な生き方の精神は、力と美が備わった忘れられた世界である。これを求め続けよう。


生れてはじめて読むような、何度も何度も読んだような、懐かしいような不思議な本です。自信に満ちた説得力に圧倒されます。それはワグネルさんの日々の簡素な生活からつむぎだされているからでしょう。

大田比路、カンパニースレイブ

奴隷の中には自分が奴隷であることに気付かない奴隷もあるわけです。現代の奴隷はそんな奴隷です。

ちくま学芸文庫、自発的隷従論

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ、自発的隷従論

本を読んで「このひとはなんて頭が良いものか!」と驚いてしまうことがたまにありますけど、このボエシさんの本はまさにそれですね。他に思い出すのは、ニーチェとかユヴァルノアハラリさんとかですね。日本人だと、三島由紀夫さんとか。訳者の解説によれば、なんと、この論考はボエシが16才か18才の時の作品ということで、さらに、ボエシは、16世紀フランス絶対王政のボルドー高等法院の裁判官として宗教改革の混乱を政権側で鎮めようと尽力していたと言います。もう、まったく、訳が分かりません。

この本には、ボエシに触発されたシモーヌヴェイユとピエールクラストルの論考も付録されています。ボエシは1548年の塩税一揆から、シモーヌヴェイユは1936年のスターリンによる大粛清から、クラストルは1970年代に南米の先住部族グアヤキ・インディアンを観察した人類学の見地から着想を得た可能性があるようです。監修の西谷修さんは、21世紀の現代日本においてもこの本がきわめて啓発的な意味を有すると書いておられます。

訳者の山上浩嗣氏が1990年代にパリの書店でポケット版が平積みになっているのを手に取ったところから、日本語文庫出版のストーリーが始まりました。様々な出会いや努力が本書に繋がっています。もちろん、全て、ボエシの切れ味鋭い論考の魅力に取りつかれてしまった人々のリレーなのです。そうして、日本でも、フランスみたいに、ポケット版が本屋に並ぶようになったのです。これが発売されたのが、2013年11月だったのですが、2024年になって管理人も本屋で見かけて手に取りました。ああ、しらなかった、こんな本があったなんて!新鮮な驚きでした。この本、ロシアとか中国とか北朝鮮で読まれているのかしら。日本もまあ、同調圧力とか、忖度とか、報道の自由が低いとか色々いわれてますけど、少なくとも、この本が本屋で普通に売ってて普通に読める限りにおいて、「ギリギリ」踏みとどまっているのかなと思いました(汗)。

リチャード・ブロディ、マイクロソフトWordを開発した伝説のプログラマーが発見した「やりたいことの見つけ方」がすごい

こちらの本には、人類が形成してきた遺伝子以外の文化、文明、固定観念である「ミーム」を疑え、と書いてありました。この著者の方はマイクロソフトWordを開発してストックオプションを貰って大金持ちになりましたが、次第に仕事の充実感が失われストレスにさいなまれることになり、思い切ってマイクロソフトを辞めてしまったのですね。全てリセットしたくなり、車も家も売って、婚約も解消して、ヒゲを伸ばしっぱなしにして、それで3年間は、ぼーっと過ごして、それから、色んな会合に参加し、気付いたんだそうです。自分なりの「人生の目的」を言語化する方法です。