簡素な生き方La vie simple

シャルル・ワグネル、簡素な生き方

シンプルライフのお勉強です。

これは19世紀の不朽の名作ですが、現代日本人からみて違和感のある点が2つあります。ひとつはキリスト教的世界観、神が世界を作り人間に支配させている、という世界観と、親子が同じような仕事をしなさいという職業観ですね。それ以外は本当に違和感なく受け入れることができました。懐かしいような不思議な読後感です。

管理人の読解を提示致しますので各自参考にしてください。19世紀アメリカでセオドア・ルーズベルト大統領が愛読しミリオンセラーになったと言いますが、それも頷けるような説得力のある論旨です。

第1章、複雑な生き方

19世紀フランスでは、「現代人ははてしない複雑さにがんじがらめになっており」、幸福が失われている。心の掟に従い、変化していく状況においても、人間らしさを失わず、精一杯生き、目的に向かって歩き続けよう。

第2章、簡素な精神

簡素さは、外見とは関係ない。どんなライフスタイルでも、どんな社会的地位でも、身分が低かろうが高かろうが、簡素な人とそうでない人が居るものだ。エゴイズムや虚栄心を捨て、自分が授かった材料で何をつくるのかが大事である。

第3章、簡素な考え方

自分について考えすぎない方が良い。自信を持ち、希望を持ち、善良であることが大事である。

第4章、簡素な言葉

情報が多いほど分かり合えなくなる。新聞を読むほど謎が深まる。言葉を操るほど信頼が無くなる。大切なことほど簡素に表現しよう。

第5章、単純な義務

目の前の人に対する単純な義務を果たすだけで良い。犯人捜しより問題解決を優先させ、愛情という不屈のエネルギーに従おう。

第6章、簡素な欲求

生きるための必要最小限を知り、欲求の奴隷になってはいけない。

第7章、簡素な楽しみ

喜びは自分のうちにあり、楽しむためにお金は必要ありません。

第8章、お金と簡素

大切なものに値段はつかない。お金で人生を複雑にしないで。

第9章、名声と簡素

有名になりたいという熱病から覚めよ。

第10章、簡素な家庭

家族の思い出は、侵すことができず、分けることもできず、譲り渡すこともできない資本であり、「聖なる預かりもの」です。

第11章、簡素な美しさ

いちばん美しいのは自分らしい装いである。

第12章、簡素な社会

互いを比較するのをやめよ。知識も権力も富も社会に奉仕するための「預かりもの」である。

第13章、簡素のための教育

子育ては、親のためでも、子のためでもない。子供が簡素な人生を歩めるように、厳しく、質素に育てましょう。

結論

簡素な生き方の精神は、力と美が備わった忘れられた世界である。これを求め続けよう。


19世紀末の時点で、「現代人ははてしない複雑さにがんじがらめになっており、幸福が失われている」、と評されていたのが印象的です。もしかすると、いつの時代も「現代人」は常に複雑性に飲み込まれる危険を抱え続けているのかもしれません。

生れてはじめて読むような、何度も何度も読んだような、懐かしいような不思議な本です。自信に満ちた説得力に圧倒されます。それはワグネルさん自身の日々の簡素な生活からつむぎだされているからでしょう。

さて、最初に書いた「違和感のある部分」を引用してみます。

「一人ひとりが、両親とほぼ同じ仕事に就き、最初は両親よりつつましい仕事に甘んじながらも、それを誠実に果たし、いずれは両親より上を目指していくとき、社会は健全だと言えるのです。」

シンプルな職業選択とはどういうものか、ということをワグネルさんは仰っています。子供せ贅沢をさせず、身の丈に合わない生活に慣れさせてはいけないと言います。自分のルーツを否定し軽蔑するような精神は不幸であるという考え方のようです。21世紀の我々からみると職業選択の自由があるんじゃないのと思ってしまいましたが、「突拍子もない考え」はやめた方が良いという意味に捉えれば、分からないでもありません。職業選択は「自然に決めよう」ということなのかもしれません。

シンプルな生活というのは、アーミッシュの人々の生活も連想させるものですね。アメリカで電気や自動車や電話の使用を拒否して職業聖職者も拒否して、輪番制でミサを開き、自給自足生活を続けるキリスト教再洗礼派の人々です。

※参考記事

簡易生活

※参考書籍

アーミッシュキルトを訪ねて


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