向こう側の世界を考える

「日本の未来100年年表」、洋泉社ムック

あらゆる分野の専門家が各自分野の未来像(2018~2117年)を紹介するという企画です。執筆者にとっては当然のことなのかも知れませんが、初めて読むと衝撃を受ける内容ばかりです。我々親世代はともかく、こどもたちは、2100年の時代を生きる可能性もあるので他人事ではありません。

この本の中で、かなり実現可能性の高いのが人口推移です。既存の年齢別人口に出生率を適用して計算すればかなり正確に未来の人口が予想できるのです。西暦2115年、日本の人口は約5000万人になっているということです。社会に大きな変化が来ることは明白ですね。

「未来の年表」、河合雅司、講談社現代新書

ベストセラーの未来本です。主に人口統計の観点から未来に起きることと対策を提言なさっています。人口統計は、今生まれた子供の20年後とか、現在の大人の20年後とか、比較的確度の高い推計となりますので、社会に与える変化についても確度が高いものになります。物理的に、現実に変化するというわけです。

この本に書いてあることで再確認できることは、「高齢化社会」と「人口減少社会」は避けることができないという厳然たる事実ですね。新築マンションを4千万円で購入するような首都圏のビジネスモデルは外国人の無制限移民を受け入れるなどの対策を取らない限り維持できないということなんですね。東京23区でも空き家が目立つようになると予測されています。新築不動産にお金を掛けるのはやめにしませんか、という強烈な警告だと思いました。

「未来の年表1」は、2020年にどうなる、2030年にどうなると、年度毎に未来予想が記載されていましたが、「未来の年表2」では、具体的な日常生活でどのようなことが起こるのかが描写されています。それは人口予測の具体的なデータに裏打ちされた予測ですので、実現性の高い予測です。そのような社会になった場合に、我々自身はどうしたらよいのか、その提言も「今からできる8つのメニュー」として記されています。是非、手に取って8つの提言を噛み締めて考えてみましょう。


考える前提として、要約読解を提示します。各自読んでみて下さい。

第1章、東京を蝕む一極集中の未来
民間シンクタンク「日本創成会議」は、消滅可能性都市のリストに東京都の豊島区をリストアップした。豊島区役所では人口データの分析を開始し、2016年時点の人口増加傾向は転入者によって支えられており、出生数から死亡数を差し引いた数値は慢性的に「自然減」の状態に至っていることを発見した。転入者の多数を占める20代単身者の平均年収は241万円であった。転入が多いのも高度成長期のような好景気に伴うものではなく、地方で仕事が無いための「ネガティブ集中」に過ぎないと分かった。単身転入者は、やがて単身高齢者になり、老後を迎えることになる。

第2章、破綻の街の撤退戦1
財政破綻して財政再生団体に指定された北海道夕張市では、限られた予算で行政サービスを維持するために、「政策空屋」が正式に決定された。炭鉱で栄えた地区が急激にゴーストタウン化していく。政策に従って転居して直後に突然死してしまう高齢者も居るという。

第3章、破綻の街の撤退戦2
東京都から派遣職員として夕張市に来た鈴木氏は、任期を延長して2年2ヶ月の派遣を終え東京に戻るとき現地の住人から市長に立候補して下さいと頼まれた。自身の生い立ちで行政が差し伸べてくれた手を大切に感じていた鈴木氏は、これを夕張にも維持したいと考え手取り月給15万8千円になっても立候補することを決意し当選した。できないことだらけの中で、未来のために「夕張高校」の支援を決意した。

第4章、当たり前の公共サービスが受けられない!
島根県では、流出数から流入数を引いた社会減と、死亡数から出生数を引いた自然減がダブルで作用する急激な人口減少社会が進行中である。高齢化率のグラフをみると、島根県は20年後の日本の姿を先取りしていると分かる。そこでは集落が消滅し、行政サービスは「住民組織」に移管され始めている。

第5章、地域社会崩壊 集落が消えていく
地方では、高齢化率50%以上かつ20戸未満の「限界的集落」と、高齢化率70%以上かつ10戸未満の「危機的集落」がどんどん増えている。もはや住民組織の継続も困難な状況が近づいている。ついに、集落を放棄して「集団移転」を提案する研究者も現れた。開かれたシンポジウムでは意外にも肯定意見が多く、「むらおさめ」が視野に入っている現実が浮き彫りにされた。

エピローグ
2025年以降、東京都心でも急速な高齢化を伴った人口減少が始まる。東京圏全域で人口が減少するので、もはや「郊外」という概念は無くなる。東京近郊の横須賀市では「税収の減少」と「社会保障費の増大」という二重苦が現実化している。それは数字の問題だけでなく、「死の一極集中」とも言うべき、孤独死による無縁仏の激増という「看取り」の問題に至っている。簡単な処方箋は見えないが、現実を直視し、一人一人が行政サービスの縮小という痛みを分かち合っていく「撤退戦」を続けるしか無いだろう。

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何とも暗くなるような話ですが、番組を盛り上げるための演出もあると思います。21世紀の子供たちは「撤退戦を楽しむ」という気概も必要だと思います。「もう住居費にお金は掛からない」など、ポジティブ面にも目を向けるべきでしょう。AI革命の果実も総動員すべきでしょう。確実に言えることは、21世紀の子供達にとって、今現在の子供時代の生活と、自分達が大人になった時の生活は根本的に異なるだろうということです。

松尾昌樹、湾岸産油国レンティア国家のゆくえ

レンティアとは、英語で rentier つまり賃料収入で生活する者を意味し、レンティア国家は、石油など天然資源収入(税金以外の非税収入)により運営されている国家を意味します。国家予算に占める非税収入の割合が7割を超える湾岸産油国が典型例とされています。意外なことですが、ノルウェーやロシアも非税収入が4割を超えており、一種のレンティア国家と考えることができます。

資源の少ない我が日本にとって、レンティア国家は、遠い外国の関係無い話のように見えますが、シンギュラリティとの関係では、これらの国について観察考慮することが大事です。つまり、レンティア国家では、「所得税なし」「教育費無償」「ベーシックインカム」「希望者全員公務員へ就職」など、シンギュラリティ(生産性革命)到来後に予想されている恩恵が既に実施されており、日本の将来を占う上で参考になる社会形態であると考えることができます。これらの国では、シンギュラリティの恩恵の代わりに資源収入があり、一足早く、「シンギュラリティ後の社会」が実現されていると考えることができ、レンティア国家を観察することにより、我々は、将来の日本社会を知ることができると言えるでしょう。

三菱総研編、IOT入門

デジタルIT革命により、あらゆるモノ(things)がインターネットに繋がり、インターネットが internet of things に拡張され、協働していくことにより、社会がどのように変化していくのか、衣食住さまざまな場面で具体的にどのような変化が予想されているのか1冊で俯瞰することができる書籍です。

三菱UFJモルスタ証券の景気循環研究所の所長、嶋中雄二氏の複合景気循環論の本です。景気循環には4種類の波長があり、①在庫投資の増減を捉える周期5年程度のキッチンサイクル、②設備投資の増減を捉える周期10年程度のジュグラーサイクル、③建設投資の増減を捉える周期25年程度のクズネッツサイクル、④インフラ投資の増減を捉える周期56年程度のコンドラチェフサイクル、があるとされます。景気の波をしっかり認識できれば波乗りだけで生活することができます。あるいはベーシックインカムにプラスアルファできることになります。

ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが描く未来予想図です。はい、こちらもいまベストセラーになっています。文系シンギュラリティ本です。文系ですけど、というか文系だけに、人間社会に対する洞察は考えられないほど深いです。レイ・カーツワイルの理系シンギュラリティ本と似たような切れ味を感じさせる本です。最初の数ページを読んだだけで、「この人は何て頭が良いのだ?」と驚いてしまいます。といいますか、この本に驚ける程には、勉強したり、洞察力・読解力・感受性を鍛えたいものです。自分自身も、子供世代にもです!「デウス」というのは神のことで、「ホモ・デウス」というのは「神になった人類」というような意味です。これは遺伝子編集により種の創造を人類が成し遂げることを意味しています。管理人の解釈による要約を御紹介します。

第一章「人類が新たに取り組むべきこと」:人類は西暦3000年までに、不死(飢饉、疫病、戦争の対策)、至福(幸福感の操作)に加え、神性までも獲得するだろう。遺伝子を操作して、自分自身を造物主つまり神の領域へとアップグレードするのである。エジプトのファラオ、中世のローマ教会と同様に、この300年世界を支配してきた「人間至上主義」も終わるだろう。ホモ・サピエンスが動物を支配するように、ホモ・デウスが、ホモ・サピエンスを支配することになるのである。

第二章「人新世」:地球史の区分として、この7万年は人類の時代を意味する「人新世」と呼ぶことが適切であろう。動物にも神が宿るというアニミズム信仰は次第に失われた。聖書冒頭創世記、ヘビにそそのかされてエデンの園を追放されたアダムとイブの話は、人類が狩猟採集から農業革命によって農耕社会に移行し、人類が特別な存在であり、アニミズムを放棄すべきことを描いていた。宗教は人類が世界を支配すること、つまり農耕牧畜に根拠を与えた。農業革命は経済革命であると同時に宗教革命でもあった。やがてアイザックニュートンが切り開いた科学革命により、従来の有神論(神話)は放棄され、新たに人間至上主義の宗教が創始された。

第三章「人間の輝き」:人類がこの世界を支配している根拠は「不滅の魂=自己意識」を持っているからではない。様々な動物実験が、動物と人間の意識レベルの違いは相対的なものに過ぎないことを証明している。人類が地球を支配した力の源泉は、無数の見知らぬ相手と非常に柔軟な形で協力できる能力であった。それは、主観でも客観でもない、共同主観的な物語のネットワークを織り上げる能力である。十字軍や、社会主義革命や、人権運動もすべて、この能力によって成し遂げられてきた。今から100年後、民主主義と人権の価値を信じる私たちの気持ち=共同主観は、私たちの子孫には理解不能に思えることかもしれない。

第四章「物語の語り手」:個々の人間の基本的な能力は石器時代からほとんど変わっていないが、共同主観的な虚構の物語はますます強力になっている。シュメール人が書字と貨幣の両方を発明したときから、人類は、複雑な税制や官僚制を組織したり、巨大な王国を打ち立てることが可能になった。文字は最初、現実を描写するささやかな方法だったが、それはやがて現実を作り変える強力な方法になっていった。21世紀に人類は、これまでのどんな時代にも見られなかったほど強力な虚構と全体主義的な宗教を生み出すだろう。虚構と現実、宗教と科学を区別する能力はますます重要になるだろう。

第五章「科学と宗教というおかしな夫婦」:近代科学の台頭によって人間社会のゲームのルールが変わったが、神話を事実で置き換えたわけではない。科学は神話の力を強めたのだ。宗教の物語は(1)人の命は神聖であるといった倫理的な判断、(2)人の命は受精の瞬間に始まるといった事実に関する言明、(3)倫理と事実の融合により生じる、受精のわずか1日後でさえ妊娠中絶は絶対許すべきではない、といった実際的な指針の3つを含む。宗教は科学を必要とするし、科学も宗教的物語を必要としている。近現代の歴史は、科学と人間至上主義という宗教のあいだの契約を軸に観察するべきだろう。

「ホモ・デウス」の下巻です。20世紀にはジョージオーウェルの「1984」でしたが、21世紀はユヴァルハラリの「ホモ・デウス」なんですね!下巻も要約を御紹介します。

第六章「現代の契約」:現代社会はひとつの契約である。それは、「力を得るのと引き換えに意味を失う」という契約だ。意味というのは、何らかの宇宙の構想の中で与えられた役割、つまり神話に基づく人生の意味である。現代人は実存的不安に苛まれている。現代における力の追求は、科学の進歩と経済の成長の提携を原動力としている。自由市場資本主義は、経済成長を信奉する宗教の一種である。ゼロサムから成長へ、ボードゲームも駒が増えないチェスから総資産が増えるマインクラフトへと変化した。しかし、人間が意味を失っても現代社会は崩壊しなかった、革命的な新宗教、すなわち人間至上主義の台頭によって救われたのである。

第七章「人間至上主義革命」:近代における神の死は社会の崩壊につながらなかった。人間至上主義という新しい革命的な教義が日々の生活への対応策を提供したのだ。それは、私たち自身が意味の究極の源泉であり、人間の自由意志こそが最高の権威であると説く。この意味で、ジャン=ジャック・ルソーの「エミール」は、18世紀の聖書とも言うべき小説であった。中世ヨーロッパでは知識=聖書×論理という公式だったが、科学革命後は、知識=観察に基づくデータ×数学という公式に置き換えられた。そして倫理的な問題に対して、人間至上主義は、知識=経験×感性という公式を提供した。20世紀に人間至上主義は、3つの宗派に分裂した。自由主義的な人間至上主義、共産主義国を例に持つ社会主義的な人間至上主義と、ナチスを例に持つ進化論的な人間至上主義である。21世紀に入り、自由主義的人間至上主義は、社会主義的人間至上主義と、進化論的人間至上主義のエッセンスを取り入れて人間至上主義の宗派争いに勝利した。個人主義と人権と民主主義と自由市場は、自由主義のパッケージ要素である。しかし、この自由主義の成功は、自由主義の破滅の種を宿しているかもしれない。遺伝子工学とAIが、自由主義を時代遅れの産物へと置き去りにするだろう。消費者と有権者の選択を自由に操ることができるテクノロジーが生まれつつあるのだ。

第八章「研究室の時限爆弾」:21世紀の科学は、自由主義の秩序の土台を崩しつつある。人間の自由意志が、単なる脳内の電気化学的プロセスであり、それは決定論とランダム性によって支配されていることが明らかにされた。脳に電極を埋め込まれたロボラットは、リモートコントロールのスイッチに従って行動するし、アメリカやイスラエルでは人間の脳にコンピューターチップを埋め込んでPTSDや鬱病の治療を試みる実験が行われており、その一部は成功したと報告されている。脳に電極を埋め込まないヘルメット状の経頭蓋刺激装置を使った実験も盛んに行われ、成果も出つつある。重症てんかん患者に行われた脳梁離断術によって左右脳が分離された患者を研究することにより、自由意志は、経験する自己と物語る自己によって形成されており、物語る自己が紡ぎ出す物語は虚構に満ちていることが判明した。人間は過去の物語に束縛される傾向があるが、テクノロジーが人間の生活経験を根底から変えてしまえば、自由主義を放棄せざるを得なくなるのではないだろうか。

第九章「知能と意識の大いなる分離」:21世紀には次の3つの進展が想定される。①人間が経済的軍事的有用性を失い、経済と政治は人間に依拠しなくなる。②経済と政治の制度は、集合としての人間には価値を認めるが、人間個人には価値を認めなくなる。③経済と政治の制度は、アップグレードされた超人という新たなエリート層の個人のみ価値を認めることになる。
軍事面では人間の兵士よりも自律型ロボットやドローンの方が効果的に成果を上げることができるし、経済面でも人間の能力を超えるAI=スーパーインテリジェンスが人間の仕事の大部分を置き換えることができるようになるだろう。生き物はアルゴリズムであり、それは有機物であろうと無機物=シリコン半導体であろうと、実施可能である。音楽や文学の分野でも人間を超える能力を有するアルゴリズムが出現しているようだ。
「2030年や40年に求人市場がどうなっているか私たちにはわからないので、今日すでに、子供たちに何を教えればいいのか見当もつかない。現在子供たちが学校で習うことの大半は、彼らが40歳の誕生日を迎える頃にはおそらく時代後れになっているだろう。」
社会の繁栄に何の貢献もしないし必要とされない巨大な「無用者階級」が出現するだろう。必要とされない人々は、薬物とコンピューターゲーム(VR世界)に時間を費やす可能性がある。
グーグルは検索とgmailを通じて、フェイスブックは閲覧と「いいね!」のクリック数を通じて、マイクロソフトはコルタナで、アップルはsiriで、私たち自身の事を私たち自身よりも詳細に正確に知ることができる。これらのアルゴリズムがいったん全知の巫女として信頼されれば、やがて代理人へ、そして最終的には君主へと進化するだろう。
ポスト自由主義の世界では、不平等もアップグレードされるだろう。21世紀の医学は健康な人をアップグレードすることに狙いを定めつつあるし、軍事的にも経済的にも無用の人々の健康水準を維持することに価値が無くなってしまうからである。超人カーストは、従来の人間を「19世紀のヨーロッパ人がアフリカ人を扱ったのと同じように」扱う可能性がある。

第十章「意識の大海」:アップグレードされた超人エリート層は、アメリカのシリコンバレーで新しい宗教あるいはイデオロギーを形成しつつある。新しいテクノ宗教は、テクノ人間至上主義と、データ教という二つの主要なタイプに分けられる。
ホモ・サピエンスは7万年前の認知革命により広大な共同主観的領域へのアクセスを手に入れて世界の支配者となったが、ゲノム編集により第二の認知革命を起こせるかもしれないとテクノ人間至上主義者は言う。彼らを進化論的な人間至上主義の一変種と見ることもできる。進化論的人間至上主義は選抜育種や民族浄化によって超人の創造を目指したが、テクノ人間至上主義は遺伝子工学やナノテクノロジーやブレインコンピューターインターフェースを用いて平和的に目標達成することを目指している。それはまた、ポジティブ心理学を用いて人間の心をアップグレードして、現在の政治や経済の制度が必要とする心理的能力を高めようとしている。それは必然的に、別の能力(嗅覚や夢を見る能力など)をダウングレードする側面も持っている。またそれは、脳科学を用いて、我々自身の内なる声のボリュームやスイッチを操作することができる能力を獲得しつつある。それが完全に成功することは「本物の自己」への信仰が失われることも意味し、人間至上主義を出発点とするテクノ人間至上主義はジレンマに陥ってしまうことになる。これは自己矛盾を孕んだ過渡的な宗教であると言わざるを得ない。

第十一章「データ教」:データ至上主義では、森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まるとされている。これを突飛で傍流の考え方と思う向きもあるかもしれないが、これは科学界ではすでに主流の考え方である。それは、生命科学において生き物を生化学的アルゴリズムと捉える考え方と、電子工学においてチューリングマシン構想が実現して高性能化することに伴って生まれたものである。それは、生き物はアルゴリズムであり、キリンもトマトも人間もたんに異なるデータ処理の方法にすぎないという考え方である。
データ至上主義では、資本主義と共産主義の対立はイデオロギーの対立ではなく、データ処理システムの競合である。民主主義と独裁制も、競合する情報収集・分析メカニズムである。独裁制は集中処理の方法を用い、民主主義は分散処理を好む。どちらが優位に立つかは、時代背景により異なる。古代ローマでは、共和制が滅び独裁的皇帝の手に権力が渡った。
AIとバイオテクノロジーによって、間もなく私たちの社会と経済と体と心もすっかり変わってしまうかもしれないが、それは現在の民主主義の政治体制には全く捕捉されていない。人々は権力を取り戻そうとして、ブレグジット(英国のEU離脱)に賛成したり、トランプに投票したりするかもしれないが、権力が戻って来ることは絶対に無い。
データ市場主義の視点に立つと、歴史はシステムの効率を高めるための4つの過程と捉えることができる。①プロセッサーの数を増やす、②プロセッサーの種類を増やす、③プロセッサー間の接続数を増やす、④接続間の伝達自由度を増やす。
人類が単一のデータ処理システムに統合された場合、出力されるものは「すべてのモノのインターネット」と呼ばれる、新しい、さらに効率的なデータ処理システムの創造である。この任務が達成されたなら、ホモ・サピエンスは消滅する。
データ至上主義は当初、中立な科学理論としてスタートしたが、今では物事の正邪を公言する宗教へと変わりつつある。この新宗教における至高の価値は「情報の流れ」である。人間は「すべてのモノのインターネット」を創造するためのたんなる道具にすぎない。それは地球から銀河系へ、そして宇宙全体へと広がっていく。宇宙データ処理システムは神のようなものになるだろう。データ至上主義の予言者レイ・カーツワイルは、マタイによる福音書の「天の国は近づいた」という言葉を想起させる、「シンギュラリティは近い」という題名の予言の書を著している。
自由主義における表現の自由と、データ至上主義における情報の自由を混同してはならない。前者において人間は好きなことを考えて言葉にする権利と言わない権利を有していたが、後者では、情報の自由は情報に対して与えられており、人間には与えられていない。しかも、情報の自由は、表現の自由を侵害することさえ有る。データ至上主義において、情報の自由は、人間の表現の自由に優先する事項である。
データ至上主義の最初の殉教者は、「ゲリラ・オープン・アクセス」というマニフェストを発表し、JSTORという論文データベースの課金措置に反対し、無料公開するために大量の論文をダウンロードし逮捕され、自殺した26歳のアメリカ人ハッカー、アーロン・スワーツだった。
データ至上主義は、ホモ・サピエンスが他のすべての動物にしてきたことを、ホモ・サピエンスに対してする恐れがある。ホモ・サピエンスは絶滅し、広大無辺なデータフローの中の小波に過ぎなかったと振り返ることになるだろう。
最後に現在進行中の3つの動きと、それに基づく3つの問いを提示して本書を終えることにする。読者はこれを考え続けて欲しい。3つの動き、その1、科学は包括的なひとつの教義に収斂しつつある。それは生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理であるという教義だ。その2、知能は意識から分離しつつある。その3、意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが間もなく、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになるかもしれない。3つの問い、その1、生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?生命は本当にデータ処理に過ぎないのか?その2、知能と意識のどちらの方が価値があるのか?その3、意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?

---要約終わり

最終章の小見出しに「情報は自由になりたがっている」というものがあります。これは言及されていませんが、1968年にヒッピー運動の機関紙「ホールアースカタログ」を創設したスチュアートブランドが発見した、「情報はフリーになりたがっている“Information wants to be free.”」というものが起源になっています。AI情報革命は技術的な側面の他に、このような価値観の側面もあるということです。価値観の源泉が、「農耕革命により出現した神」→「産業革命により出現した自由主義」→「AI革命により出現した情報」へと変遷していくというわけです。技術革命には精神の革命も必ず伴うということですね。

 


ビクターマイヤー=ショーンベルガー、トーマス・ランジ著、データ資本主義、NTT出版

金融資本主義が終わり、データ資本主義に交代すると予言している本です。オックスフォード大学の教授とビジネス誌特派員の共著です。ネットワーク化された経済における情報の役割がテーマになっています。管理人の読解を提示しますので各自お読みになって理解を整理して下さい。読むとデータ資本主義はユヴァルノアハラリの言う「データ至上主義」「データ教」と似た概念であると分かります。

第1章「資本主義の再起動」

ネット仮想市場運営会社ebayの20周年記念イベントが2015年9月に開催されたが、同社事業の伸びには陰りが見られた。一方、価格以外の情報を重視するライドシェアのスタートアップBlaBlaCar、オンライン旅行サイトKAYAK、オンライン投資Sigfig、クラウドソーシングUpworkなどは絶好調で伸びている。「市場」というソーシャルイノベーションは、貨幣中心市場から、豊富なデータによって動く「データリッチ市場」へと変わりつつある。データ主導の市場では誤解や誤判断によるバブルも緩和されるだろう。

第2章「人間と調整」

人類による火の利用や車輪の発明、蒸気機関の発明は重要な一歩であったが、物事を調整する人間の能力の方がはるかに大きなものである。人間による調整はコミュニケーション能力によって高められてきた。情報の流通が促進すると、調整力も飛躍的に進歩する。人類が調整能力を高める過程で、集権階層型の「企業」と、分権拡散型の「市場」というふたつのソーシャルイノベーションが大きな役割を果たしてきた。中国政府による小規模起業家保護策は、市場型生産方式を促進し、例えばオートバイではモジュール生産方式の導入により価格を大幅に引き下げ中国生産シェアを世界の半分にまで引き上げた。

第3章「市場と貨幣」

1997年にインド南部マラバール海岸沿いに携帯電話の基地局が設置され、漁師が携帯電話を利用することにより、市場が効率化され、価格変動が緩和された。貨幣による価格は、市場における情報伝達手段、共通言語として長らく利用されてきた。市場と貨幣の組み合わせが人間の活動を調整する優れた手段になると考えられてきた。しかし、人類が大量の情報流通処理能力を獲得した現代において、我々の価格依存症がかえって市場の非効率化を招くことが分かってきた。2008年の金融危機でそのことを学んだのである。

第4章「データリッチ市場」

2017年1月ペンシルバニア州ピッツバーグのカジノで、機械学習により訓練されたカーネギーメロン大学のスーパーコンピューター搭載AI「リブラタス」が、人類のトッププロポーカープレイヤー4人を打ち負かした。これは市場においても豊富な情報を駆使して取引することが主流になることの予兆である。ビッグデータを活用したデータリッチ市場のマッチングプロセスにより取引が促進されている。次世代恋人マッチングサイトはその試金石である。

第5章「企業と統制」

企業は、市場と同様に、人間の活動を調整する仕組みである。メディチ家は複式簿記の効力に気付き莫大な富を蓄積できた。1890年ごろフレデリック・テイラーが提唱した科学的管理法は企業による大量生産を促進させた。アマゾンのジェフベゾスもこの方法を踏襲している。デジタルツールにより企業の統制・意志決定も改善されるが、同時に、市場のマッチング能力も改善され、市場VS企業という構図は市場有利に動くことになる。

第6章「企業の未来」

2016年12月、富国生命は保険請求の査定業務にIBMのWatsonを導入すると発表した。業務処理の3割が削減されるという。同じ頃、ドイツのダイムラーは全従業員の2割を配置転換するリストラ策を発表した。両企業は、市場の攻勢に対抗するため、自己変革を試みているのだ。企業の変革は、コストを削減するオプション1と、分散型意志決定を導入するオプション2がある。ダイムラー同様、音楽配信企業spotifyでは分権型組織を採用し、社内フィードバックとコーチングを重視して運営されている。これは市場を企業に組み込む発想である。この2つの戦略を両方同時に採用することも考えられる。

第7章「資本の凋落」

金融業界を3つの脅威が襲おうとしている。1つは2007年のサブプライムローン破綻で明かとなった、不正確な情報、不完全な情報あるは情報の間違った解釈を招く金融業界の構造的な弱さである。2つめは、2008年以降のグレートリセッションで金利が低下し「利ざや」が低下したことである。そして、3つめが、貨幣の衰退である。データリッチ市場の参加者が豊富なデータを検討材料に加えることにより、貨幣への依存度が低下し、従来価格の支払いを渋るようになるのである。金融資本主義が突然死し、データが貨幣に取って代わり、データ資本主義へ移行するのだ。老後に備えて貯金や投資に励んできた人々は報われないことになる。

第8章「フィードバック効果」

ノバート・ウィーナーが人間機械論で提唱したシステム制御法、サイバネティックスは、フィードバックループを活用してシステムを正しい方向に導く仕組みである。市場の集中化が進むと「規模の効果」「ネットワーク効果」「フィードバック効果」を生じる。インターネット時代にはこれらの効果が促進している。それは意志決定支援システムが一極支配されるディストピアに帰結しうる。市場の集中化を抑制するために、健全な競争を維持するために、筆者は「累進型データ共有命令」を提案する。

第9章「仕事を要素に分割せよ」

高速道路における完全自動運転が実用段階に入っている。これは第二次機械化時代とも言える変化を労働者にもたらす。労働参加率と労働分配率が共に低下し続けると予想される。若者による、新しいスキルのトレーニングは見込み違いとなるリスクをはらんでいる。20世紀中頃のノーベル経済学者ミルトン・フリードマンは「負の所得税」を提唱したが、現代ではユニバーサルベーシックインカムUBIとして議論されている。スーパースター企業の独占利益は、研究開発費への大規模投資という戦略により決算書に正当に反映されていない。これらの企業に「データ納税」を賦課し、社会一般の競争参加・利益享受を促す対策が考えられる。労働参加率の維持という観点では雇用に対する税額控除という政策も考えられるが、月額500ドルなどの部分的UBIによる、雇用のアンバンドリング(分解)も考えられる。仕事を断片化し、人々に自分の好きな仕事を選ばせるのである。

第10章「人間の選択」

データリッチ市場は、貨幣中心の従来型市場に次から次へと打撃を与えている。人間の従業員をほとんど使わないペーパーカンパニーも増えているが、パーソナルスタイリストを提供するスティッチ・フィックスのような人間中心の組織も新たに生まれている。データリッチ市場に合わせて変貌する企業の動きは、「大調整」とか「グレートアジャストメント」と後日呼ばれるだろう。2020年代末には従来型銀行の多くは消え去るだろう。データリッチ市場において、独占の餌食にならないために、人間の選択が益々重要になる。資源不足が克服されて人間は何もしなくて良くなるという楽観論「十分に自動化された贅沢な共産主義」が流行しているが、これも個人の選択にとって脅威となりうる。データリッチ市場により、人と人の結びつきが進み、人間らしさを深めていく必要があるのだ。

空き家問題を提言し、「負動産」という言葉の名付け親でもあるオラガ総研代表牧野知弘さんの本です。誰でも一篇の小説を書けると言いますが、それは自分自身の人生を語れば真実のリアリティを有することを意味します。この本は、牧野氏の大学卒業からのキャリアも描いているので一種の私小説として、非常に説得力を持っていると思いました。リアルタイムで体験した、マクドナルドに代表される「量的充足」を重視するビジネスモデルの成功と凋落、ディズニーランドに代表される「質的充足」を重視するビジネスモデルの隆盛が描かれていますが、著者は、最終的に量的充足が達成された後で、質的充足を求めるビジネスモデルも成立しなくなるのではないか?と提言なさっています。この本では、日本マクドナルド開業の1971年からの四半世紀を、量的充足を求めるビジネスモデルが大成功した時代と捉え、25年を経た1996年を日本社会の転換点と捉えています。量的拡大が終わり、質的充足を求める時代が始まったとされています。ソフトウェアやコンテンツや物語が重視される時代です。この25年間に、ディズニーランド的ビジネスモデルが成功することになります。そして、2021年から始まる四半世紀で、2046年に向かって、日本社会の二極化、99パーセントの貧困化が進行し、2040年代には現在のビジネスモデルが全て成り立たない時代が到来するのではないかと予測して本が終わります。著者は「九十九パーセントの人々は、資本を貯めこむ一パーセントの人たちに対して新たな階級闘争を挑むかもしれません」と暗い予感も吐露しておられます。21世紀の子供たちは暗い時代を進まねばならないのかもしれません。