西郷隆盛

先崎彰容、西郷隆盛『南洲翁遺訓』 (100分 de 名著)

先崎彰容、未完の西郷隆盛

今年の大河ドラマ「西郷どん」の主役だったので読んでみました。シンギュラリティAI革命と西郷隆盛とは、なんの関係があるのだ?と思われますか?私は大いに関係あると思いましたね。

先の読めない時代だからこそ、筋の通った思想・世界観が必要ということですね。「国破れて山河あり」と言いますが、これからは、ゲームチェンジの時代ですから、国(公務員・国家資格)も企業も栄枯盛衰が激しい時代に突入することになります。そのような場合によりどころとなるようなしっかりした考え方が必要になるのです。それは何かの宗教に帰依しなさいということではありません。宗教の名を騙った詐欺(似非宗教)の場合もあります。そのような「宗教」では何の役にも立ちません。100年、千年と持ちこたえることができる筋の通った思想が必要です。西郷隆盛で言えば、15世紀の王陽明を祖とする陽明学の知行合一の影響を受けた「敬天愛人思想」ということになります。

南洲翁遺訓29条

道を行ふ者は、固より困厄(こんやく)に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔(など)に、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有るより、自然心を動す人も有れども、人は道を行ふものゆゑ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只管(ひたす)ら道を行ひ道を楽み、若し艱難に逢ふて之れを凌がんとならば、弥弥(いよいよ)道を行ひ道を楽む可し。予壮年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆゑ、今はどんな事に出会ふとも、動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。

(意訳)

天道を歩むということは元来困難に直面するものであり、どんな艱難辛苦に遭遇しようとも、事業の成功や我が身の生死を気にしてはならない。天道を歩む過程でうまく行くときもあればそうでない時もあり、うまく行く人も居ればそうでない人も居る。だからそれを気にしてしまう人も居るのだが、本来天動を歩むというそのこと自体が大事なことであるから、天道を歩むということには上手も下手もなく、成功も失敗も無いのである。だから、ひたすら天から与えられた正道を行けばよいし、それを楽しめば良いと思う。もしも困難に直面してこれを克服したいと思うのならば、ますますその道を進み、困難さえも楽しんでしまえば良いだろう。私は若い頃からありとあらゆる困難に直面したので、今はどんなことがあっても動揺しなくなってしまったよ。それだけは他の人に比べて恵まれていると感じるなあ。

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なんとまあ、AI革命のゲームチェンジに立ち向かうための金言みたいなことが、明治維新の頃に西郷どんから語られていたのですね。考えて見れば明治維新は一種の市民革命であり、天地がひっくり返るような社会動乱だったわけですから、これを乗りこえるために物事に動じない精神が必要だったと考えることができます。

西郷が文明について語った部分に興味が惹かれました。文明を「あるべき社会」と読み替えても良いかもしれません。

南洲翁遺訓11条

文明とは道の普(あまね)く行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些(ち)とも分らぬぞ。予嘗(かつ)て或人(あるひと)と議論せしこと有り、「西洋は野蛮じや」と云ひしかば、「否(い)な文明ぞ」と争ふ。「否な否な野蛮ぢや」と畳みかけしに、「何とて夫(そ)れ程に申すにや」と推せしゆゑ、「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢや」と申せしかば、其の人口を莟(つぼ)めて言無かりきとて笑はれける。

(意訳)

文明というのは本来、天の正道が社会のすみずみまで実践されているのを賞賛して言う言葉であるはずであるから、宮廷が立派で荘厳であるとか、官服が豪華美麗であるとか、外面的な豪華さのことを言うのではない。世の人が喧伝しているのは文明の何たるかを分かっていないことであるぞ。私はかつてある人と文明について議論したことがあった。私が「西洋は野蛮じゃ」と言うと、相手が「いや、文明だ」と論争した。「いやいや野蛮じゃ」と返答したが、「どうしてそこまで否定するのか」というので、「本当の文明であるならば、未開の国に対して、慈愛の精神で、優しく指導して文明化に導くべきであるのに、西洋列強は、逆に文明の遅れた国であればあるほど自国の利益を優先して酷たらしい残忍な仕打ちを行ってきた(植民地政策の不平等交易など)のはまさに野蛮なことである」と回答したところ、その人は何も返答できなかったよ、と笑っていた。

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上記先崎彰容氏の書籍には、征韓論に敗れて下野して不平士族の不満を糾合して西南戦争を引き起こしたという旧来の評価は当てはまらない可能性があると論じられていますが、西郷の文明論を読む限り単純に朝鮮半島を侵攻すべきと主張していたとは考えにくいですね。むしろ、特定派閥出身者を重用して何でも決めてしまうという有司専制の明治政府に反対していたということが核心に近いのかなと思いました。

最近、コーヒーとかチョコレートで「フェアトレード」と表示されているのがありますが、これは西郷の言っていたことを実践しているんですね。西郷の考え方は、これからのAI革命においてもあてはまると思いました。どれだけ技術が進歩しても人間性を失うような使われ方をしたら意味が無いということですね。