シンギュラリティを乗りこえるために、コンピューター(チューリングマシン)の仕組みと歴史を知ることは大事なことです。月刊アスキーの連載に加筆され出版された「計算機屋かく戦えり」は日本のコンピューター黎明期の激闘の歴史を学ぶことができる良書です。残念ながら紙の書籍は絶版ですので、図書館で探して読んでみるか、古本屋を探すか、電子書籍版でお読みになることを推奨します。
チューリングマシンとは
イギリスの数学者アラン・チューリングは、計算可能性を定式化して、計算可能関数を計算できるチューリングマシンのモデルを提示しました。そのハードウェアは次の要素で成り立っています。
1)その表面に記号を読み書きできる無限長テープ。
2)テープに記号を読み書きするヘッド。
3)ヘッドによる読み書きと、テープの左右へのシークを制御する機能を持つ、有限オートマトン。
有限オートマトンは少し難しいですが、有限個の状態を行ったり来たりする機械です。例えば、デジタル時計の一番下の桁は、ゼロから9までを順番に表示していくのですが、これが有限オートマトンです。プログラムを順番に読み込んで実行していくのも有限オートマトンになります。勿論、テープにはプログラムを書き込んで、抽象化されたシンプルな命令をひとつひとつ実行していくことになります。
このように究極まで単純化された機械が、計算できる機械の目標(チューリングマシン)として提示されたので、あとは、ひとつひとつの部品を作って組み立てていくだけになったのです。この道筋に従って、チューリングたちはドイツのエニグマ暗号を解読するコンピューターbombeを作ったのです。
計算尺、機械式計算機、世界初のCPU
日本は、「ヘンミ計算尺」と「タイガー機械式計算機」で世界を席巻し、世界初の小型リレー式計算機「カシオ14A」や、世界初のオールトランジスタ計算機「シャープCS10A」を開発し、世界初のマイクロプロセッサCPU「インテル4004」が全部日本人(嶋正利)の手によって開発されたことは驚く他ありません。戦後から80年代まで、日本はイノベーションの宝庫だったのです。
電気じかけの自動ソロバン
日本初の真空管式コンピューターFUJICの開発者フジフィルムの岡崎文次氏の言葉を引用します。「基本的にコンピュータは電気じかけの自動ソロバンなわけです。だから、まずはソロバンの珠に相当するフリップフロップを作るのです。それができたら、その珠をはじく論理回路をつくってやればいい。ほかの人が想像するほど、難しいことではなかったと思います。」
この感覚が非常に大事です。大事なのはチューリングマシンの原理であって、デジタル回路はそれを実現するための道具にすぎないわけです。だから、半導体素子は何でも良いわけです。半導体である必要すら無いわけです。それで、ソレノイド式とか、パラメトロン式の計算機も開発されたわけです。パラメトロン式コンピューターは世界中で日本だけで開発製造されたものだそうです。当時の日本人の根性には本当に驚くばかりです。
当時の日本人は、見たことも聞いたこともない、日本には影も形もない電子計算機の仕組みを、わずかな英語の論文から貪るように吸収して、自分の頭で考えて、次から次へと実際に動く装置として開発していったんですね。このような激闘を、今や、日本より中国や台湾や韓国で盛んにやっているんだと思うと少し寂しくなります。
21世紀の最前線
その1970年代のコンピューター開発の激戦地、最前線は、21世紀の現在では、「量子コンピューターの量子ビット」に移転しています。1970年代と同じように努力するならば、一生懸命、量子力学を勉強し、英語の論文を貪り読んで、量子コンピューター開発に名乗りをあげて行くことになります。
1999年4月29日号『Nature』に掲載された世界初の「固体素子で作った超伝導量子ビット」を発明したのは日本人(NECから東大の中村泰信教授)でした。21世紀の日本人にも1970年代のような奮闘努力を期待したいと思います。