利潤率の傾向的低落の法則

シェアリングエコノミーのバイブルであるジェレミーリフキンの「限界費用ゼロ社会」でも、水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機 」でも利益率の低下と資本主義経済の行き詰まりが指摘されていますが、19世紀に刊行されたマルクス=エンゲルスの資本論第3巻第3編には「利潤率の傾向的低落の法則」が記述され、マルクスも同じ問題意識を持っていたことが分かります。21世紀のITバブル崩壊とかリーマンショックを経験した現代人であれば、利子率の低下は身をもって体験し理解できるのですが、産業革命後の資本主義隆盛期に利子率の低下を予見していたとは驚くばかりです。

勿論、我々現代日本人の多くは、マルクスレーニン主義のプロレタリア独裁とか世界革命論などには共感していませんし、肯定的な評価を与えていない人も多いと思いますが、資本主義の拡大再生産が最終的に利益率の低下に帰結するという議論の方向性には事実認識として同意せざるを得ない側面があるわけです。食料生産でも、生活用品生産でも、仮に無料エネルギーで無人工場で全て生産できるようになれば、価格は限りなくゼロに近づくことになるわけです。

的場昭弘氏の「超訳資本論」の3巻3編15章「利潤率の傾向的低下の法則の内的矛盾の展開」では、この利益率の低下の問題が明確に提示されています。

---引用はじめ

「資本主義的生産はその手に内在するこの制限を克服しようと努力するが、しかし新たな、そしてより大きい規模で制限をそれに加える手段によってしか克服されない。資本主義的生産の真の限界は、資本それ自体である。(略)だからこそ、資本主義的生産様式は、物質的生産力を発展させ、それに照応する世界市場をつくりだすためのひとつの歴史的手段であり、それは同時にこうした歴史的任務とそれに照応する社会的生産関係との絶えざる矛盾そのものなのだ」

---引用おわり

資本主義的生産様式がひとつの歴史的な事象にすぎないと分析しているのは、マルクスの唯物史観にも通じるものですね。「学校」とか「会社」とか「仕事」とか「資格」とか、現代社会で当然必要と思われる仕組みですら、歴史的な条件に過ぎない可能性があるわけです。有史以来人類が取り組んできたゲームが今おわりに近づいて来たという訳です。