大学生になったらウィトゲンシュタインを読め

大学受験を突破した人へ、おめでとうございます!大学に入ったら、専攻の勉強は勿論頑張るにしても、それとは別に色んな本を読んで下さいね。

そしてもちろん、ウィトゲンシュタインも読んで下さいね。管理人の学生の頃はヴィトゲンシュタインと呼んでいたのですが、最近はウィトゲンシュタインというのですね、時代が変わったものです。大学生協の書籍部にウィトゲンシュタインが平積みで、爆売れしていたのを思い出します。こんなにウィトゲンシュタインが売れる本屋、日本ではここしかないやろ、と思いましたね(笑)。

言語の性質や、言語との格闘は、それはもう、21世紀のシンギュラリティ革命でも生き残るための重要な武器を与えてくれます。ウィトゲンシュタインは武器なんです!

とりわけ、「言語ゲーム論」については、一顧に値する考え方だと思います。東洋思想との親和性も高い言語ゲーム論、日本人は比較的理解しやすいはずなんですが、西欧文明にどっぷり浸かっている現代日本人には少し難しいかもしれません。

ウィトゲンシュタイン全集8、哲学探究第一部

以下、「哲学探究」からの引用をいくつか御紹介いたします。

「言語ゲーム」という用語は、ここでは、言葉を話すということが活動の一部分、あるいは生活形式の一部分であることを際立たせるべきものである。(ウィトゲンシュタイン全集8、第23章)

命令し、質問し、語り聞かせ、おしゃべりすることは、歩き、食べ、飲み、遊ぶことと同様に、我々の自然誌に属している。(ウィトゲンシュタイン全集8、第25章)

哲学者たちがある言葉を用いて「知識」、「存在」、「対象」、「自我」、「命題」、「名」といった言葉を用いて、物事の本質を把握しようとしているとき、人は常に次にそのように問わなくてはならない。いったいこの言葉は、その故郷となる言語のなかで、実際にそのように使われているのか、と。我々は、これらの言葉を形而上学的な使い方から日常的な使い方へと連れ戻す。(ウィトゲンシュタイン全集8、第116章)

なんでこんなに切れ味良く言語と我々自身の思考を分析できちゃうのか、不思議でなりません!溜息が出ちゃいますよね!

言語ゲーム Sprachspiel のspiel というのは、「遊び」という意味もあるんだそうです。「言語遊び」、「言葉遊び」ですね。哲学者の論文は言葉遊びに過ぎないと言っている訳です。我々は言葉の中で生活しているのであり、言葉が無いと考えることができないということをシンプルに提示してくれています。今は、大学1年生向きの上記のような素晴らしい本も出ているんですね。素晴らしい時代です。是非読んでみましょう。

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