この本に書いてある武士道は、昔教科書で習ったような綺麗な武士道ではございません。新渡戸稲造が世界に紹介した武士道とは違うのです。この本の著者の西股総生さんは、それこそ本当の武士道だと書いておられます。
これは、日本が明治維新の時に欧米列強国民から「サムライ、ハラキリ」と恐れられ、植民地支配を免れた大きな要因になってますし、明治になって富国強兵で欧米列強に追いつけ追い越せでアジアで唯一の列強仲間入りを果たし、第二次大戦後だって奇跡の経済復興を成し遂げてアジアで唯一のサミットG7参加国になった原動力になっています。21世紀に入って「失われた30年」と言われて衰退を続けている日本人は「魂を抜かれた」状態かもしれません。
男衾三郎絵詞
鎌倉時代末期の関東地方の武士の暮らしを描いたとされる「男衾三郎絵詞」という絵巻物があり、そこには次のような一節があります。
『弓矢とる物の家をよく作りてハなにかハせん、
庭草ひくな、俄事(にわかごと)のあらん時乗飼(葉)にせんずるぞ、
馬庭のすゑになまくびたやすな、切懸よ、
此門外をとをらん乞食修行者めらハやうある物ぞ、
ひきめかぶらにてかけたてておもの射にせよ』
※意訳
弓矢をつかさどる武士の家は立派にしてはいけない。
庭草を刈ってはいけない、万一出陣の際は馬の飼い葉にするのだ。
馬屋の入り口には人の生首を絶やすことなく切り懸けておけ。
門外を通る乞食や修行者なんぞ沢山いるのだから捕まえて弓矢の練習の的にしてしまえ。
「門前の生首を絶やすな」とは、なんともひどい話ですが、武辺の者にはそれくらいの迫力が必要だと言っているわけです。
朝倉宗滴話記
越前朝倉家中興の祖と呼ばれる朝倉宗滴は、「朝倉宗滴話記」に次のような言葉を残しています。
『武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本(もと)にて候』
武者は犬と言われようが畜生と言われようが勝つことが全てである、という処世訓を子孫に遺しているというのです。
葉隠の山本常朝
更に、「武士道は死ぬこととみつけたり」で有名な葉隠の著者山本常朝は、その父山本重澄が家臣に次のように言い聞かせていたと言います。
『(武士たる者は)博打をうて、虚言をいえ、一時(いっとき)の内に七度虚言いわねば、男は立たぬぞ』
いっとき、というのは約2時間ですから、2時間のうちに7回も大ぼらを吹くようでなければ男子は大成できないぞ、という教えなのです。
葉隠の聞書一の一一四には次の言葉もあります。
『武士道は死狂ひ也、一人之殺害を数十人して仕兼る物也』
武士道は死に物狂いだから、一人の武士を殺そうと数十人で取り掛かっても大変なことだと言っているのです。
それはカッコいい綺麗ごとの武士道では無いんですね。敵をだましても身内を欺いても、何でも良いから勝てというのです。もの凄いエネルギーですね。元気が湧いてきませんか?
それは、シンギュラリティ革命を乗り越える21世紀の子供たちにも参考になる教えじゃないでしょうか。
トランプ大統領は中国の産業スパイがアメリカの知的財産権を盗んだと文句を言っていましたが、本当の武士道は手段を選びませんから、文句を言っても始まらないのです。勝てば官軍負ければ賊軍の世界なのです。
※参考書籍
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