ベーシックインカムの起源は世界史の中でどこに位置づけられるかご存知でしょうか。この本には様々な歴史のポイントが記されています。歴史は、人それぞれの「歴史解釈」「歴史観」ですから、沢山の見方があっても良いと思いますが、ベーシックインカムの考え方は意外に古くから存在していたことに驚かされます。
律令国家・・・5世紀、中国の均田制や、7世紀、日本の班田制は、臣民に納税や兵役などの義務を前提として、彼らが食べていけるだけの耕作地を分け与える制度がありました。ヨーロッパ中心主義から離れた見方をすればこれも一つの起源と捉えることができそうです。
トマス・モア「ユートピア」・・・1516年のトマス・モアの著作では、生活の保障が構想され、ベーシック・インカムの源流となった。
トマス・ペイン「土地配分の正義」・・・1796年に書かれたパンフレットで、「人間は21歳になったら15ポンドを、成人として生きていく元手として国から給付されるべき。そして50歳になったら今度は年金を年10ポンド出す。」と提唱している。これは自然権思想の中から派生した構想であった。
トマス・スペンス「幼児の権利」・・・1797年に書かれた本で、次のように主張していました。「土地は教区と呼ばれるイングランドの地域共同体の単位ごとに共有とされ、土地を居住・農耕などのために占有する場合には、地代を教区へ払う。この地代が唯一の税金である。ここから公務員の給料など共同体の必要経費が支出される。そしてその後に余る剰余は、「男だろうと女だろうと、結婚していようが独身だろうが、嫡出でも非嫡出子でも、生後1日でもひどく年老いていても」、年4回、成員間に平等に分配されなくてはならない」
1848年革命「諸国民の春」・・・ヨーロッパ全体がブルジョア市民革命からプロレタリアート市民革命への転換をした時代に、ベルギーの革命憲法草案では労働者のための所得保障がうたわれた。
JSミル「経済学原理」・・・1848年の第二版に次のような記述が見られた。「生産物の分配の際には、まず第一に、労働のできる人にもできない人にも、ともに一定の最小限度の生活資料だけはこれを割り当てる。」
バートランド・ラッセル「自由への道」・・・1918年の著作で、次のような記述が見られた。「生活必需品には十分なる、一定の少収入は、働くと働かないとに拘らず、何人にも与えられるが、生産されたる財貨の全額から供給した必需品を除いた結果は、社会が有益であると認めたる、何かの仕事に甘んじて従事する人々に、分配されなくてはならない。」彼は第一次大戦時に反戦を唱え1916年にケンブリッジ大学の職を追われてしまったそうです。そのことがこの主張の源流にあったかもしれません。
1938年アメリカ公正労働基準法・・・連邦最低賃金が導入された。
ミルトン・フリードマン「資本主義と自由」・・・1962年の著作で、負の所得税を提唱した。基礎的税額控除前の所得が税額控除に満たない場合は、その差額を支給するという構想。
1966年NWRO設立・・・The National Welfare Right Organization 全米福祉権団体が設立され、キング牧師も呼応してベーシックインカムの主張を始めた。
1968年イギリス要求者組合設立・・・英国バーミンガムで最初の要求者組合が設立され、個人単位のベーシックインカム運動が始まった。
1969年ガルブレイス「ゆたかな社会」第二版・・・「雇用しえない人、困難なしには雇用しえない人、労働すべきでない人にとって直接的な解決策は、生産に関係のない収入源である。」
1970年要求者憲章・・・①全ての人に資力調査なしでの適切な所得への権利、②全ての必需品が無料で提供され、人々によって直接的に管理される、福祉国家。③隠し事の廃止と完全な情報への権利。④いわゆる「救済に値する者」と「値しない者」の区別の廃止。
1982年アラスカ恒久基金配当開始・・・1年以上アラスカに居住する州民に石油収入の余剰金を配当する。年間1000から2000ドル程度。
2008年BIEN設立・・・Basic Income Earth Network。前身組織は1986年設立。
ベーシックインカムの歴史は古く、着実に歩みを進めてきたのです。貧困問題が深刻な発展途上国「南の国」や、持続可能性や少数者保護を主張する「緑の党」との親和性が高い政策のようです。日本でもそのうち緑の党が国政政党になる日がくるかもしれません。これは避けられない時代の流れと言えるでしょう。負の所得税や、個別給付、児童手当の拡充などが順次広がっていくのでしょう。
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