小林憲正、生命と非生命のあいだ
生物学者が紡ぎ出した歴史は普通の世界史とは違います。その驚異の物語を御紹介しましょう。その世界観は、きっとシンギュラリティ対策に役立つはずです。
化学進化
隕石と月の石の放射年代測定により、ドロドロの地球が固まった時期、地球ができたのは約46億年前と推定されています。この時期に生命の起源であるアミノ酸合成と核酸合成が始まった可能性が高いのです。しかも、この核酸合成は、地球じゃなくても、宇宙のあらゆる場所で行われた可能性が高いのです。今でも毎年5000トンの宇宙塵が地球に降り注ぎ、100トン程度が地表に到達していると推測されています。
地球ができた時期と前後して、炭素が6角形に集まった「ベンゼン環」の炭素2個が窒素に置き換わり、ウラシルが合成されました。遺伝子の材料です。ちなみにビッグバン後の炭素合成についてはB2FH論文をご参照下さい。
2023年3月に、小惑星リュウグウのサンプルから核酸ウラシルとナイアシンが検出されたと報じられました。リュウグウの軌道半径は地球の約1.2倍です。地球以外の場所でも核酸合成は起こり得るという証拠です。パンスペルミア説では、地球ができる前から核酸合成は始まっていたと主張されています。
化学進化は、温度変化や加水分解や脱水縮合により促進されました。浸水(加水分解)と乾燥(脱水縮合)を繰り返す間欠泉の周辺や波打ち際の環境は、絶好の化学進化環境だったでしょう。天然原子炉から出た放射線や、太陽フレアや太陽風を含む宇宙線のエネルギーで化学進化した可能性も指摘されています。
※小林憲正「生命と非生命のあいだ」より
『放射線によって、なぜこのような大きい分子ができるのでしょうか。そのくわしい機構はまだ不明ですが、重要なのは、放射線(粒子線やガンマ線など)のエネルギーが、紫外線や熱と比べてはるかに大きいことです。』
温度変化は、太陽の周りを公転することによる春夏秋冬の季節や、1日1回の自転によって生み出されていますし、波打ち際の満潮や干潮の満ち引きは衛星である月の引力によって28日周期で生み出されています。地球に与えられた天文学的な条件(恒星からの距離や、公転周期や自転周期や、衛星の有無や質量など)により、化学進化が促進された可能性があるのです。
RNAワールド
小惑星リュウグウでも合成されたウラシルの他、アデニン、グアニン、シトシンとあわせて4種類の核酸が地球上で合成され、それがRNAとして結合し、自分自身が酵素(リボザイム)活性を獲得することにより、RNAの自己複製が始まったと言われています(RNAワールド)。DNAもタンパク質も無い時代に自己複製が始まっていた可能性があります。地球環境の温度変化(24時間単位、年単位)や太陽光エネルギーを受けて、RNAの進化が始まりました。その時、地球上にはRNAしかありませんでした(RNA時代)。波打ち際の水が太陽光に照らされて蒸発するように、RNAも太陽エネルギーを受けて変化します。地球の自転と公転によるエネルギー変化が生命誕生に影響した可能性があります。
200から400塩基対でタンパク質をコードしない(持たない)RNAであるウイロイドが1971年に発見されました。これもRNAワールドのメンバーだった可能性があります。より短い塩基の人工ウイロイドや人工リボザイムを合成する試みも続けられています。
20塩基のRNAが自己複製活性を示したという報告が2023年6月にありました。この20塩基程度の自己複製能力を持つRNAが「偶然」できてしまったというのが生命の起源かもしれません。そのうち複製を継続するために有利なアミノ酸をコードするRNAが優勢になり、ペプチドをコードするRNAがそれに勝り、更にタンパク質をコードするRNAが勝利したのかもしれません。それはもう、一本鎖RNAウイルスと呼べるものです。
フリーマン・ダイソンは雑多な有機物が無数の微細な袋をつくり化学反応がうまく進んだ袋が淘汰されて残っていくという「ゴミ袋ワールド仮説」を提唱しています。小林憲正は宇宙線の高エネルギーにより巨大有機分子が生成され、そこから自己触媒機能を持つ分子が選択進化されたという「がらくたワールド仮説」を提唱しています。いずれもRNAワールド成立以前の化学進化過程の描写です。
無限の猿定理により、どのような配列であっても偶然に合成されることが証明されています。無限の寿命を持つ猿にタイプライターを渡せばいつかシェークスピアの作品を打鍵できてしまいますし、自己複製するRNA配列だって合成できてしまいます。
LUCA誕生
約40億年前、二本鎖DNAや、複雑なタンパク質を合成できる、DNA生物の共通祖先LUCA(Last universal common ancestor)が誕生します。タンパク質とDNAはありますが細胞核を持たない原核生物です。タンパク質とDNAが相互作用してどんどん進化していきます。原核生物は、真正細菌(バクテリア)と古細菌(アーキア)に分化し、古細菌の細胞壁を内側に折り畳んでDNAを保護する核膜が出来て、真核生物が誕生しました。バクテリアとアーキアは、細胞壁の構造やDNAの畳み方(ヒストン構造)やタンパク質合成に使われる酵素は異なっています。
米国イリノイ大学のカール・ウーズは、全ての生物が持っているリボソームRNAの塩基配列を用いて分子系統樹をつくりました。系統樹の根元に近い現存の生物は80℃のお湯の中で繁殖する「超好熱菌」が多いことが分かっており、生命誕生の場所は、脱水縮合できる高温の場所ということで陸上温泉説が主張されています。
化学合成生物
海底火山の噴出口から300℃以上の高温熱水が海水と反応して黒色や白色に変色してブラックスモーカーやホワイトスモーカーと呼ばれる煙のような形が観察されます。これは鉛や亜鉛や銅や鉄などの硫化物が含まれるもので、人間にとっては猛毒ですが、化学エネルギーを利用して細胞分裂する化学合成生物が生まれました。
環境中の有機物を利用するだけの化学合成従属栄養生物のほか、二酸化炭素から自力で有機化合物を合成できる化学合成独立栄養生物も進化しています。海底で生まれたのか陸上温泉で生まれたのか不明ですが、LUCAは化学合成生物であったと考えられています。
シアノバクテリア
原初の地球の大気には酸素O2がありませんでした。酸素は水H2Oや二酸化炭素CO2として存在していたのです。酸素イオンO2-はあらゆる元素と結合しやすく、酸化物になりやすかったのです。そのため、地球上の酸素原子は全て酸化物として存在していました。当時の地球環境に酸素は無く、生物は全て嫌気性微生物でした。
炭素同位体組成比の分析により最古の炭素化石が38億年前に出来たと分かりました。生物が死ぬと大気中のC14を含む二酸化炭素を取り入れる活動が停止するので、放射性C14の減少量により、その化石の主がいつ死んだか推定できるのです。炭素を集積させたのは世界最古の生物です。
38億年前、光合成により太陽エネルギーを活用できるシアノバクテリアが出現し、地質学的分析により27億年前から猛烈な勢いで二酸化炭素と水分子の中の酸素を還元し、酸素O2とブドウ糖を作り始めたことが分かりました。
$$6CO_{2} + 6H_{2}O + Solar Energy \to C_{6}H_{12}O_{6} + 6O_{2}$$
現在の地球大気の21パーセントは酸素が占めるに至っています。その酸素は全て生物により合成されました。生物は触媒のように働いています。
ミトコンドリア
23億年前の全球凍結(スノーボールアース)の後に、酸素濃度が100倍以上に上昇する大酸化イベントが発生した。
20億年前、大気中に酸素が増えた後、ミトコンドリアの祖先である原核生物が出現し、酸素呼吸により、ブドウ糖を二酸化炭素と水に分解し、ブドウ糖の化学エネルギーをATPアデノシン三リン酸に変換できる能力を獲得しました。生命にとって危険な酸素(活性酸素)を安全な(安定な、酸化力の無い)水に変えることができるようになりました。
全ての生物は、ATPをADPアデノシン二リン酸とリン酸に加水分解することで生まれるエネルギーによって活動しています。このエネルギーは触媒のように働き、運動や、DNAの複製や、タンパク質の合成など、細胞の中のいろいろな代謝に使われます。生物にとってATPはエネルギーと交換できるお金のようなもので、生体のエネルギー通貨とも呼ばれます。
※参考記事、20億年前の地層から生きた細胞発見か
細胞内共生
1967年にボストン大学のリン・マーギュリスが提出した細胞内共生説によれば、細胞核を持たない原始原核生物は、活性酸素からDNAを保護するために、細胞膜を取り込んで新たに二重膜で覆われた核という細胞小器官を発達させ、その中で自らの遺伝情報を担っているDNAを保護した。同時に、細胞内にミトコンドリア祖先とシアノバクテリアをエンドサイトーシスで取り込んで、共同生活(共生)を営むようになった。共生や寄生自体は地球環境の至る所で見られる現象ですが、それが細胞内でも起きたのではないかという仮説が提出されたのです。
3ドメイン
LUCA誕生後に、真正細菌バクテリア、古細菌アーキア、真核生物という3つの種類の生物が分化しましたが、我々人類を含む動物と、野山の草花の植物は同じ「真核生物」のグループに属していることになります。勿論、真核生物が、動物と植物に分化しました。動植物の分岐は10億年前と推定されています。海の中で生まれた単細胞生物が多細胞に進化して、上陸し、体温調節できる哺乳類に進化しました。
どうでしょう。「地球は一家、人類はみな兄弟」なんて言葉もありますが、生物学者に言わせれば、ミトコンドリアを持つ生物はみな兄弟なのです。我々動物は葉緑体を失いましたが、植物は未だに保持しており、動物よりも植物の方が偉いんじゃないかとも思えます。
エントロピー法則
地球上の生物は、太陽エネルギーと地球上の元素の化学変化の相互作用で誕生して進化してきましたが、シュレーディンガーは「生命とは何か」という著作の中で、生命が平衡状態に至らず存続できるのは(エントロピー増大則に反しているように見えるのは)、環境から「負エントロピー」を絶えず摂取しているためだと説明しました。
他方で、地球全体のエントロピーを考慮すれば、生物の発生によってエントロピー増大が促進されているようにも見えます。例えば人類が造り出した核爆弾は部分的にエントロピーを増大させています。シンギュラリティもエントロピーを増大させるように働くのではないかと推測できます。
※参考書籍
林 純一、ミトコンドリア・ミステリー―驚くべき細胞小器官の働き (ブルーバックス)
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