ホモ・デウス下巻

ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが描く戦慄の未来予想図です。はい、こちらもいまベストセラーになっています。文系シンギュラリティ本です。文系ですけど、というか文系だけに、人間社会に対する洞察は考えられないほど深いです。だまされてるのかも知れませんが、この本によって我々は自分自身を知ることができます。レイ・カーツワイルの理系シンギュラリティ本と似たような切れ味を感じさせる本です。最初の数ページを読んだだけで、「この人は何て頭が良いのだ?」と驚いてしまいます。といいますか、この本に驚ける程には、勉強したり、洞察力・読解力・感受性を鍛えたいものです。自分自身も、子供世代にもです!20世紀にはジョージオーウェルの「1984」でしたが、21世紀はユヴァルハラリの「ホモ・デウス」なんですね!

管理人の読解を提示します。

第六章「現代の契約」:現代社会はひとつの契約である。それは、「力を得るのと引き換えに意味を失う」という契約だ。意味というのは、何らかの宇宙の構想の中で与えられた役割、つまり神話に基づく人生の意味である。現代人は実存的不安に苛まれている。現代における力の追求は、科学の進歩と経済の成長の提携を原動力としている。自由市場資本主義は、経済成長を信奉する宗教の一種である。ゼロサムから成長へ、ボードゲームも駒が増えないチェスから総資産が増えるマインクラフトへと変化した。しかし、人間が意味を失っても現代社会は崩壊しなかった、革命的な新宗教、すなわち人間至上主義の台頭によって救われたのである。

第七章「人間至上主義革命」:近代における神の死は社会の崩壊につながらなかった。人間至上主義という新しい革命的な教義が日々の生活への対応策を提供したのだ。それは、私たち自身が意味の究極の源泉であり、人間の自由意志こそが最高の権威であると説く。この意味で、ジャン=ジャック・ルソーの「エミール」は、18世紀の聖書とも言うべき小説であった。中世ヨーロッパでは知識=聖書×論理という公式だったが、科学革命後は、知識=観察に基づくデータ×数学という公式に置き換えられた。そして倫理的な問題に対して、人間至上主義は、知識=経験×感性という公式を提供した。20世紀に人間至上主義は、3つの宗派に分裂した。自由主義的な人間至上主義、共産主義国を例に持つ社会主義的な人間至上主義と、ナチスを例に持つ進化論的な人間至上主義である。21世紀に入り、自由主義的人間至上主義は、社会主義的人間至上主義と、進化論的人間至上主義のエッセンスを取り入れて人間至上主義の宗派争いに勝利した。個人主義と人権と民主主義と自由市場は、自由主義のパッケージ要素である。しかし、この自由主義の成功は、自由主義の破滅の種を宿しているかもしれない。遺伝子工学とAIが、自由主義を時代遅れの産物へと置き去りにするだろう。消費者と有権者の選択を自由に操ることができるテクノロジーが生まれつつあるのだ。

第八章「研究室の時限爆弾」:21世紀の科学は、自由主義の秩序の土台を崩しつつある。人間の自由意志が、単なる脳内の電気化学的プロセスであり、それは決定論とランダム性によって支配されていることが明らかにされた。脳に電極を埋め込まれたロボラットは、リモートコントロールのスイッチに従って行動するし、アメリカやイスラエルでは人間の脳にコンピューターチップを埋め込んでPTSDや鬱病の治療を試みる実験が行われており、その一部は成功したと報告されている。脳に電極を埋め込まないヘルメット状の経頭蓋刺激装置を使った実験も盛んに行われ、成果も出つつある。重症てんかん患者に行われた脳梁離断術によって左右脳が分離された患者を研究することにより、自由意志は、経験する自己と物語る自己によって形成されており、物語る自己が紡ぎ出す物語は虚構に満ちていることが判明した。人間は過去の物語に束縛される傾向があるが、テクノロジーが人間の生活経験を根底から変えてしまえば、自由主義を放棄せざるを得なくなるのではないだろうか。

第九章「知能と意識の大いなる分離」:21世紀には次の3つの進展が想定される。①人間が経済的軍事的有用性を失い、経済と政治は人間に依拠しなくなる。②経済と政治の制度は、集合としての人間には価値を認めるが、人間個人には価値を認めなくなる。③経済と政治の制度は、アップグレードされた超人という新たなエリート層の個人のみ価値を認めることになる。
軍事面では人間の兵士よりも自律型ロボットやドローンの方が効果的に成果を上げることができるし、経済面でも人間の能力を超えるAI=スーパーインテリジェンスが人間の仕事の大部分を置き換えることができるようになるだろう。生き物はアルゴリズムであり、それは有機物であろうと無機物=シリコン半導体であろうと、実施可能である。音楽や文学の分野でも人間を超える能力を有するアルゴリズムが出現しているようだ。
「2030年や40年に求人市場がどうなっているか私たちにはわからないので、今日すでに、子供たちに何を教えればいいのか見当もつかない。現在子供たちが学校で習うことの大半は、彼らが40歳の誕生日を迎える頃にはおそらく時代後れになっているだろう。」
社会の繁栄に何の貢献もしないし必要とされない巨大な「無用者階級(ユースレスクラス)」が出現するだろう。必要とされない人々は、薬物とコンピューターゲーム(VR世界)に時間を費やす可能性がある。
グーグルは検索とgmailを通じて、フェイスブックは閲覧と「いいね!」のクリック数を通じて、マイクロソフトはコルタナで、アップルはsiriで、私たち自身の事を私たち自身よりも詳細に正確に知ることができる。これらのアルゴリズムがいったん全知の巫女として信頼されれば、やがて代理人へ、そして最終的には君主へと進化するだろう。
ポスト自由主義の世界では、不平等もアップグレードされるだろう。21世紀の医学は健康な人をアップグレードすることに狙いを定めつつあるし、軍事的にも経済的にも無用の人々の健康水準を維持することに価値が無くなってしまうからである。超人カーストは、従来の人間を「19世紀のヨーロッパ人がアフリカ人を扱ったのと同じように」扱う可能性がある。

第十章「意識の大海」:アップグレードされた超人エリート層は、アメリカのシリコンバレーで新しい宗教あるいはイデオロギーを形成しつつある。新しいテクノ宗教は、テクノ人間至上主義と、データ教という二つの主要なタイプに分けられる。
ホモ・サピエンスは7万年前の認知革命により広大な共同主観的領域へのアクセスを手に入れて世界の支配者となったが、ゲノム編集により第二の認知革命を起こせるかもしれないとテクノ人間至上主義者は言う。彼らを進化論的な人間至上主義の一変種と見ることもできる。進化論的人間至上主義は選抜育種や民族浄化によって超人の創造を目指したが、テクノ人間至上主義は遺伝子工学やナノテクノロジーやブレインコンピューターインターフェースを用いて平和的に目標達成することを目指している。それはまた、ポジティブ心理学を用いて人間の心をアップグレードして、現在の政治や経済の制度が必要とする心理的能力を高めようとしている。それは必然的に、別の能力(嗅覚や夢を見る能力など)をダウングレードする側面も持っている。またそれは、脳科学を用いて、我々自身の内なる声のボリュームやスイッチを操作することができる能力を獲得しつつある。それが完全に成功することは「本物の自己」への信仰が失われることも意味し、人間至上主義を出発点とするテクノ人間至上主義はジレンマに陥ってしまうことになる。

第十一章「データ教」:データ至上主義では、森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まるとされている。これを突飛で傍流の考え方と思う向きもあるかもしれないが、これは科学界ではすでに主流の考え方である。それは、生命科学において生き物を生化学的アルゴリズムと捉える考え方と、電子工学においてチューリングマシン構想が実現して高性能化することに伴って生まれたものである。それは、生き物はアルゴリズムであり、キリンもトマトも人間もたんに異なるデータ処理の方法にすぎないという考え方である。
データ至上主義では、資本主義と共産主義の対立はイデオロギーの対立ではなく、データ処理システムの競合である。民主主義と独裁制も、競合する情報収集・分析メカニズムである。独裁制は集中処理の方法を用い、民主主義は分散処理を好む。どちらが優位に立つかは、時代背景により異なる。古代ローマでは、共和制が滅び独裁的皇帝の手に権力が渡った。
AIとバイオテクノロジーによって、間もなく私たちの社会と経済と体と心もすっかり変わってしまうかもしれないが、それは現在の民主主義の政治体制には全く捕捉されていない。人々は権力を取り戻そうとして、ブレグジット(英国のEU離脱)に賛成したり、トランプに投票したりするかもしれないが、権力が戻って来ることは絶対に無い。
データ市場主義の視点に立つと、歴史はシステムの効率を高めるための4つの過程と捉えることができる。①プロセッサーの数を増やす、②プロセッサーの種類を増やす、③プロセッサー間の接続数を増やす、④接続間の伝達自由度を増やす。
人類が単一のデータ処理システムに統合された場合、出力されるものは「すべてのモノのインターネット」と呼ばれる、新しい、さらに効率的なデータ処理システムの創造である。この任務が達成されたなら、ホモ・サピエンスは消滅する。
データ至上主義は当初、中立な科学理論としてスタートしたが、今では物事の正邪を公言する宗教へと変わりつつある。この新宗教における至高の価値は「情報の流れ」である。人間は「すべてのモノのインターネット」を創造するためのたんなる道具にすぎない。それは地球から銀河系へ、そして宇宙全体へと広がっていく。宇宙データ処理システムは神のようなものになるだろう。データ至上主義の予言者レイ・カーツワイルは、マタイによる福音書の「天の国は近づいた」という言葉を想起させる、「シンギュラリティは近い」という題名の予言の書を著している。
自由主義における表現の自由と、データ至上主義における情報の自由を混同してはならない。前者において人間は好きなことを考えて言葉にする権利と言わない権利を有していたが、後者では、情報の自由は情報に対して与えられており、人間には与えられていない。しかも、情報の自由は、表現の自由を侵害することさえ有る。データ至上主義において、情報の自由は、人間の表現の自由に優先する事項である。
データ至上主義の最初の殉教者は、「ゲリラ・オープン・アクセス」というマニフェストを発表し、JSTORという論文データベースの課金措置に反対し、無料公開するために大量の論文をダウンロードし逮捕され、自殺した26歳のアメリカ人ハッカー、アーロン・スワーツだった。
データ至上主義は、ホモ・サピエンスが他のすべての動物にしてきたことを、ホモ・サピエンスに対してする恐れがある。ホモ・サピエンスは絶滅し、広大無辺なデータフローの中の小波に過ぎなかったと振り返ることになるだろう。
最後に現在進行中の3つの動きと、それに基づく3つの問いを提示して本書を終えることにする。読者はこれを考え続けて欲しい。3つの動き、その1、科学は包括的なひとつの教義に収斂しつつある。それは生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理であるという教義だ。その2、知能は意識から分離しつつある。その3、意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが間もなく、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになるかもしれない。3つの問い、その1、生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?生命は本当にデータ処理に過ぎないのか?その2、知能と意識のどちらの方が価値があるのか?その3、意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?

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すみません、最終章はあまりにも衝撃的すぎて、また、内容が濃すぎて要約が長くなってしまいました。「ホモ・サピエンスは消滅する」という結論に対する状況証拠が揃いすぎていますし、論旨に説得力が有り過ぎます。しかし、冷徹にホモ・サピエンスの歴史を敷衍して、行く末を洞察してきた著者が、最後の最後に、人間至上主義のテーゼを本当に放棄してもよいのかい?という疑問を投げかけてきたことは、一縷の希望の光だと思いました。逆に言えばそれほど、抗いがたい時代の流れを感じているっていうことですね。ジョージオーウェルの「1984」と同様に、これは近未来を描いた警告の書になっているのかもしれません。

歴史認識というのは全世界である程度統一された見方がありますが、これほどスッキリした形で提示されたのは初めてで驚きました。農業革命=宗教革命であり、産業革命もまた新しい宗教を生み、テクノロジーの進展は、人間至上主義の危機に通じているということが、重大な説得力を伴って迫ってきました。

※人間社会と対応する宗教
狩猟採集社会=動物に神が宿ると考えるアニミズム宗教
農耕牧畜社会=人間が神の代わりに世界を支配する一神教
工業化社会=自由主義的人間至上主義
IT革命社会=データ至上主義

これは「ハラリ史観」と言っても良い明解な見方だと思います。ハラリさんの歴史概念装置に従って過去の歴史から証拠物を探すのも面白いでしょうし、ハラリさんの著作から壮大な物語を読み解くのも面白いでしょうし、中高生や大学生が、サークルで「ハラリ部」「ハラリ読書会」をやったりするのも面白いんじゃないかなと思いました。本を一度読むだけでなく、日常的に継続して考えていくべきテーマだと思いました。

※参照記事

ホモ・デウス上巻