合成生物学の衝撃

これは21世紀に仕事をしていきたい子供達には必読の書だと思います。なぜなら、ビルゲイツが言っているからです。

「もし私がティーンエイジャーだったら、コンピュータではなく生物学をハッキングしただろう」

そうです1970年代に誰もパーソナルコンピューターを見たことが無い時代に、個人用コンピューターのソフトウェアを構築することはワクワクするような冒険でしたが、21世紀の現代では、そんなことは時代後れの遺跡なのです。今、子供達の心をワクワクさせるものは、人工DNAから人工生命体を造ること、そして人工DNAから生まれる人間を造ることなのです。

著者はSTAP細胞の報道で大宅壮一賞を受賞した毎日新聞の須田桃子さんです。この方の取材力には驚きます。どうしてこんなに沢山のキーマンへの取材が実現するのか不思議でなりませんでした。突破力、質問力、情熱が対象者に伝わるのだと思いました。ただ、この本は遺伝子工学の基礎知識を前提として書かれているので、事前に小林雅一さんの「ゲノム編集とはなにか」を読んでおくことをお勧め致します。

各章のポイントをご紹介致しますので、各自読んでみて下さい。

第1章「生物学を工学化する」

MITで電子工学を学んだトム・ナイトは、シリコン原子の大きさが不変であることを根拠としてムーアの法則が限界に突き当たることを予想し、これを突破する方策として、生化学の手法を発展させることを思い付いた。ナイトは生物学を学び、講座を受講し、思い通りの生物マシンを造る研究を開始した。ナイトは、DNA断片を「規格化」して多様な実験で共用できるように整理することを思い付き、「バイオブリック」と名付けた。必要なタンパク質ごとにバイオブリックを定義すれば、レゴブロックのように部品を組み立ててDNAを合成できるようになる。2001年、インターネット上にバイオブリックを登録できるカタログサイトを開設した。バイオブリックは生命をプログラミングするための言語なのだ。

第2章「人工生命体プロジェクトはこうして始まった」

米国立衛生研究所NIHのクレイグ・ベンターは、DNAから転写されたmRNA(メッセンジャーRNA)をコピーしたcDNA(コンプリメンタリーDNA、相補的DNA)の断片をコンピューターで解析して繋ぎ合わせるEST法を思い付き、実施しようとしたが上司に反対され、NIHを辞めて非営利の民間研究所TIGRを設立して、ヒトゲノム解読に邁進した。1995年、手始めにインフルエンザ菌とマイコプラズマ菌の全ゲノム解読に成功し、2000年にはヒトゲノム全解読を成功させた。ベンターは、ゲノムを読むだけでなく、書くことにも情熱を傾け、細菌のゲノムを1から作り上げる「ミニマルセルプロジェクト」をスタートさせた。

第3章「究極の遺伝子編集技術、そして遺伝子ドライブ」

2012年に、ダウドナ&シャルパンティエ教授により、DNAをピンポイントで編集できる画期的なクリスパーキャス9酵素を使った遺伝子改変技術が発明された。ちなみにクリスパー配列を発見したのは日本の石野良純らである。ハーバード大学のケビン・エスベルト博士は、クリスパーキャス9を使って、クリスパーキャス9を発現する遺伝子を組み込んだら、DNAの二重らせんの両方を変更できるのではないかと思いつき、2014年に論文発表した。この方法では、改変された遺伝子が種の全体に拡散し、種全体の遺伝子を操作する「遺伝子ドライブ」が可能となる。これはマラリアの撲滅や、薬剤耐性種の撲滅など様々な応用が期待される技術である。

第4章「ある生物兵器開発者の回想」

旧ソ連の生物兵器研究者セルゲイ・ポポフは、1980年代に既に、DNAを改変して人工的に生物を造り出す合成生物学の研究が始まっていたことを証言した。西側では合成生物学を生物兵器に応用することは誰も考えていなかったが、ソ連では組織的に大規模な研究が進められていた。それは徹底した機密研究であり、一切の書類が作成されず、書類を作成する時は専用の部屋で個別番号が記載された紙に手書きするというものであった。人工細胞を合成する研究は現在のロシアでも行われている可能性がある。

第5章「国防総省の研究機関は、なぜ合成生物学に投資するのか?」

あらゆる科学技術にはデュアルユース性がある。良いことにも悪いことにも使えるという性質である。合成生物学研究の最大の出資者になりつつあるDARPA=国防高等研究計画局は、遺伝子操作された病原体による悩ましい脅威を含む生物戦問題に対する一般的な解決策を追究していると主張しているが、分子生物学者キース・ヤマモト教授は、防衛目的の研究のいくつかは攻撃目的に応用されうると分析し、さらにまた「超一流の研究者を飼い慣らす」ことも投資の目的に含まれていると主張する。軍の機関と研究者との継続的な繋がりにも、デュアルユース性があるだろう。

第6章「その研究機関、DARPAに足を踏み入れる」

著者はDARPAに取材を申し込み、許可され本部を訪問した。トイレにすら担当者が付いてくる厳重な警戒の中、インタビューが行われた。DARPAは実験施設のない研究機関であり、研究室のプログラムマネージャーが、研究テーマを設定し、選ばれた米国中の超一流研究者に資金を提供し定期的に連絡しながら研究を仕上げていく。プログラムマネージャーは3~5年任期の臨時職員だが、彼らは殆ど大学の終身教授の地位を辞めて就任している。世界を変える大きな仕事を成し遂げる魅力があるという。「世界のために」やっていると彼らは言うが、アメリカの国家安全保障の目的があることは紛れもない事実である。

第7章「科学者はなぜ軍部の金を使うのか」

アメリカの科学者のDARPAに対する態度は、積極消極に2分されている。遺伝子ドライブの画期的論文を発表したケビン・エスベルトは当初軍部のプログラムには応募しない方針だったが、DARPAのセーフ・ジーンズ・プロジェクトに応募した。理由を尋ねると、「防衛予算を使えば、その分、爆弾やミサイルへの投資を少なくできる」と述べた。これは詭弁に過ぎない言い訳とも評価し得るが、科学者にとって、世界を変える研究を実現する魅力、研究室を維持する必要性には抗えないのである。

第8章「人造人間は電気羊の夢を見るか?」( フィリップ・K・ディックの1968年のSF小説の題名)

遺伝子工学の研究者の一部は、「ヒトゲノム合成計画」を発足させた。「10年以内に人間の遺伝子を人工的につくる」という目標を掲げた。倫理面の批判を受けて「ゲノム合成計画」と名前を変えたが、ヒトゲノムの合成はプロジェクトの主要テーマであり続けている。DARPAの担当者も会合に参加し、強い関心を寄せている。完全に消費可能な人間を軍部がつくることを誰が止められるだろうか。著者は非配偶者間人工授精(AID)によって生まれた人々を取材した経験から、親無しで生まれた子のアイデンティティクライシス(自己喪失)の苦悩を懸念する。

第9章「そして人工生命体は誕生した」

ヒトゲノム解読で活躍したクレイグ・ベンターは、2003年、人工ウイルスを合成することに成功し、2010年3月、ついに完全に人工合成された細胞(JCVI-syn1.0)が分裂を開始した。人工生命体の誕生である。彼らは、DNAをソフトウェアであり、それを細胞に入れる事をインストールすると呼んだ。ミニマルセルの遺伝子には、塩基配列の3文字セット(コドン)を使って、研究者達の名前や、プロジェクトのメールアドレス、また、「What I cannot create, I cannot understand.」というファインマンの言葉が刻み込まれていた。合成生物学が誕生したのだ。合成生物学者は、情報革命に続く次の産業構造革命は、合成生物学によってもたらされると予言している。

エピローグと後書きには、カズオイシグロの小説「わたしを離さないで」のテーマが、著者の問題意識と重ね合わされて疑問形のまま提示されています。合成生物学の進歩は、人類の幸福に資するだろうか、という疑問です。好むと好まざるとに関わらず、アメリカや、中国、ロシア、世界中で、合成生物学は日々進化しています。福島第一原子力発電所事故で、人類は原子力発電所の水素爆発を目の当たりにしましたが、合成生物学でも同じような危機的破局カタストロフィーに直面するかもしれません。その時の、破壊力が、過去の全ての科学技術を超えるインパクトがあるのではないだろうか、それが、本書のテーマだと思いました。取り返しが付かないのです。

21世紀の子供達は、仕事として選択するかどうかを別にして、遺伝子工学と合成生物学の最低限の知識を持ち、これを監視し、関与し続ける態度が必要だと思いました。20世紀のソフトウェアとハードウェアは、シリコン半導体によって動作しましたが、21世紀のソフトウェアとハードウェアは、タンパク質とDNAによって動作するのです。仕事をしたいなら、この分野に向かうしかないでしょう。さもなければ、ベーシックインカムで一生を過ごすことになるでしょう。

※参考記事、人工合成細胞JCVI-syn1.0報告論文

https://science.sciencemag.org/content/329/5987/52

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