勿論大ベストセラーだとは存じておりましたが読むチャンスを失っており、20年後に初めて読みました。それでビックリ仰天してしまいました。管理人の読解を示します。
12章、文字をつくった人と借りた人
まったくゼロの状態から文字システムを考案することは、既存のシステムで使われているものを拝借するのにくらべ、比較にならないほど難しい。文字は、食料生産し、複雑で集権化され、階層的な分化の進んだ社会で、徴税や命令の布告に使われた。
13章、発明は必要の母である
1908年にクレタ島ファイストスの宮殿跡で見つかった紀元前1700年の粘土板は、世界初の凸版印刷の証拠であるが、人類史上は2500年後の中国で発明された印刷技術が世界に伝播したことになっている。技術の受容は、発明そのものよりも難しいことがある。必要が発明を生むというのは錯覚であり、発明の活用はそれを発展させる必要を社会が生み出せるかどうかに掛かっている。技術は人口の大きい所で自己触媒的に爆発的に発達する。
14章、平等な社会から集権的な社会へ
人間社会は、小規模血縁社会(バンド)、部族社会(トライブ)、首長社会(チーフダム)、国家(ステート)の4段階を経て大規模化してきた。部族社会は、血縁に加えて婚姻でメンバー全員を結びつける絆を生じ、もめ事を解決した。数万人規模の首長社会では、権力を首長に集中させることによりもめごとを解決した。不平等を維持するために、武器の独占、富の再分配、治安維持、イデオロギーや宗教が使われた。国家では、更に大規模化と集権化が進み、法律が成文化され、行政組織も階層分化される。兵力や軍事物資も集中され、国教や愛国心が兵士を決死の覚悟で戦わせ、周辺の小規模集団を征服していった。
15章、オーストラリアとニューギニアのミステリー
4万年前、オーストラリアの先住民アボリジニは、最古の磨製石器を作り、柄のついた石斧を作り、船も作り、壁画も描き、最も進歩的な社会であったが、近世になると文明から最も取り残された社会となっていた。ニューギニアは氷河期にはオーストラリアと地続きであったが、最終氷河期以降は海峡に隔てられて、文化的交流がほとんど見られなかった。ニューギニアの高地では独自に食料生産が始まったが、面積の広がりを持たず人口が限られており、オーストラリア大陸との交流も限られていたので、ユーラシア大陸の様に発展しなかった。
16章、中国はいかにして中国になったのか
他の多民族国家と異なり、中国は有史以来の多民族国家である。中国はアメリカ大陸やアフリカ大陸ほど南北に長い陸塊ではなく、砂漠や地峡による分断も少なく、黄河と揚子江は運河の役割を果たし、文化的・政治的統一が早い時期に成立した。中国人は文字を持たず読み書きできない周辺の「野蛮人」を征服し、同化政策により国家を拡大させた。
17章、太平洋に広がっていった人びと
コロンブスの発見以前にも民族の大規模な移動があった。中国南東部に起源するオーストロネシア人の拡散である。豚や鶏や犬の骨、赤色土器、磨製石斧の発掘や、遺伝子解析と類似単語を追跡する言語学解析により、オーストロネシア人の拡散状況が分岐の場所と時期も含めて詳細に分かっている。台湾、フィリピン、インドネシアを経由して、腕木つき丸太カヌーで、西はマダガスカルまで、東はハワイやイースター島まで渡航して住み着いた。
18章、旧世界と新世界の遭遇
アメリカ大陸でも独自に農耕が始まったが、タンパク質の豊富な穀類の野生種が無く、家畜化可能な大型哺乳類が少なかった。ユーラシア大陸の農耕は大型哺乳類の家畜化により鋤を牽かせたり糞を肥料に用いたりして更に発展した。農耕や技術の伝播は南北よりも東西の方が速く、アメリカ大陸では大規模な国家が出現するのがユーラシア大陸よりも遅れた。その差が1492年コロンブス発見以降のヨーロッパ人による植民地化成功の主因となった。
19章、アフリカはいかにして黒人の世界になったか
アフリカ大陸では西暦1400年の時点で世界の主要6大主要人種のうち5つの人種(北部に白人、中部にピグミー族、南部にコイサン族、マダガスカルにインドネシア人、それ以外全般に黒人バンツー族)が暮らしていた。言語分析により、紀元前3000年頃に西アフリカのサバンナ地帯に発祥したバンツー族が、ピグミー族やコイサン族を吸収して南部と東部に拡散しアフリカ全体に広がったことを示唆している。これも、農耕民が狩猟採集民に置き換わる現象のひとつであった。ヨーロッパ中心主義では、中近東を発祥としてギリシャ・ローマが発展し三大宗教が生じたと考えるが、言語学的分析によれば、三大宗教のセム語族は、アフリカ北部のアフロ=アジア語ファミリーに属しており、アフリカ大陸を発祥としていることが示唆されている。アメリカ大陸同様、アフリカ大陸も南北に長く、栽培牧畜に適した野生種が少なかったという偶然のために、ヨーロッパ人に植民地化された。
エピローグ、科学としての人類史
冒頭のヤリの質問、「あなたがた白人は色んなものを発達させたが、私たちニューギニア人は発達させなかったのは何故だろうか」に対する答えは、人種の資質によるものではなく、それぞれの大陸の環境が異なっていたためであると結論する。大陸の大きさや、南北に長いか東西に長いか、砂漠や山脈で隔てられているか、栽培牧畜に適した動植物の野生種が存在したかどうか、という偶然の作用により、人間社会の発展速度が決められたのである。肥沃三日月地帯の衰退は当地の砂漠化に求めることができるし、中国では政治決定により船団の派遣が停止されたことが原因であろう。中国では20世紀の文化大革命でも政治決定による停滞を招いた。ヨーロッパでは政治的な統一がされなかったために大航海の活動が続けられた。この違いも、欧州と中国の海岸線の複雑さの違いに帰着できるかもしれない。歴史学は従来文科系の非科学的学問と捉えられてきたが、一般法則を導き出せる科学として研究することにより我々に未来を教えてくれるだろう。
農耕により余剰を生じた穀類は農耕民に平等に与えられるのではなく家畜の飼育に使われ、その家畜が鋤を牽いて糞肥料を供給することにより農耕を促進するという、自己触媒作用があったようです。歴史上のある時点のほんの少しの差異が、数百年後に驚くべき差異を生むのです。農耕による人口爆発は、職業の分化を促進し、技術者や官僚が、発明や社会システムを発展させ、家畜の病原菌に曝されることにより農耕民の免疫システムを訓練し、新世界住民に病原菌を持ち込んだ時に壊滅的な被害を与えたのです。病原菌の影響力は、個々の侵略戦争における銃器や兵士の活躍とは比較にならないほど大きかったと言います。また、新大陸探索の航海に乗り出すか、鎖国にするか、信奉している宗教が未開人を改宗させる教義を持っているか否か、そして、歴史上の人物の瞬間的な思いつきや、交通事故や、暗殺未遂事件の帰趨が歴史の大きな流れを変えてしまった可能性もあると言います。そのような歴史上の偶然の出来事ですら、「神の思し召し」と言ってしまえば身も蓋もないことになりますが、とにかく、我々が従来漠然と信じてきた「人種の優秀性」みたいなものはこの本によって全否定されています。そんなものは神話に過ぎないというわけです。
ユヴァル・ノア・ハラリさんは、「サピエンス全史」で、「農耕革命は史上最大の詐欺であった」と書いていますが、狩猟採集民の方が農耕民よりも栄養状態が良く、労働時間も短く、疫病も少なく、平和で平等社会であったものが、農耕社会に移行することにより、全て失われたということを別の言葉で表しているように思いました。それは明らかにこの本から着想を得ていることですね。
この本は、文字に記録されていない「先史時代」の歴史にスポットライトを当ててくれました。言語学や、炭素14分析法も含めた考古学や、遺伝子工学の発展により、驚くべき沢山の事実が我々の前に明らかになりつつあるのです。
現代社会の我々は、自分自身が農耕に携わっていなくても、農耕社会に暮らしているから、凶暴な「農耕民」そのものであるわけです。これからも世界全体がほぼ「農耕社会」として、未開の地を開拓し続けるつもりなのでしょう。開発対象は、宇宙やデジタル空間にまで広がっています。最近の資本主義終焉論では、人類が帝国を拡大させ地球を開発し尽くして、グローバリゼーションが終わるとき資本主義も終わると主張されています。ひとりひとりの人間は理性と分別のある心優しい現代人かもしれませんが、沢山集まって帝国を形成すると凶暴な農耕民になってしまうという訳です。恐ろしい話ですね!
※参考記事
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