ドイツ出身のイギリスの経済学者EFシューマッハーの「スモールイズビューティフル」は、1973年に出版され、石油危機の予言が的中したことから世界的ベストセラーになりました。経済成長の限界や、化石燃料の枯渇や、持続可能社会の実現など、21世紀の我々がSDGsで考えていることを50年前に主張していたとは驚きます。これはミニマリストのバイブルとなっています。
イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが「21レッスンズ」で提示した概念である「新しい物語」のヒントがここにあります。ITテクノロジー(AI)革命と、バイオテクノロジー(遺伝子編集)革命の「双子の革命」が進展した時代に、人類が依拠すべき意味の大系(イデオロギー)です。
宴は終わった
シューマッハーは、1970年代に経済学者バーバラ・ウォードが「宴は終わった。The Party is over.」と宣言したことを紹介しました。それは、3つの幻想に基づく狂乱の成長神話です。
- 安価な燃料と原料が無尽蔵に供給されるという幻想
- ごく低い報酬で、退屈で機械的でうんざりする仕事をあえてやろうという労働者が、これも同じく無限にいるという幻想
- 科学と技術がやがて、もうすぐすべての人を豊かにするので、余暇と財産を一体どうあつかうかという問題だけが残り、他の問題が消滅してしまうだろうという幻想
地球温暖化による自然災害の増加などにより、化石燃料を無尽蔵に消費するビジネスモデルは確かに終わったと言えます。考えてみれば当然のことですが、永続不可能なビジネスモデルだったのです。
有機農法、適正規模、中間技術
シューマッハーは、第二次大戦後の経済成長時代の終焉に際して、3つの戦略を立てました。その戦略は21世紀の我々にも羅針盤となり得る示唆を与えるものです。
- 自然に対する新たな態度が必要であり、その態度を庭木の手入れ、園芸や農業の仕事において実践しなければならない。持続可能な脱石油農法、有機農法が必要である。彼は1970年にはイギリス土壌協会の会長になりました。
- われわれは「大きければ大きいほどよい」という考えを意図して捨てさり、物事には適正な限度というものがあり、それを上下に超えると誤りに陥ることを理解しなければならない。人間は小さいものである。だからこそ、小さいことはすばらしいのである。
- (自然に対する)暴力と巨大主義ではなく、健康と美と永続性という三つの徳目をもつ道に技術を立ち返らせること、適正技術、中間技術が必要である。彼は1966年に中間技術開発グループIntermediate Technology Development Group (ITDG) を創設しました。
Tender Loving Care
シューマッハは言います、『小さいことのすばらしさは、人間のスケールのすばらしさと定義できよう。そのすばらしさとは、正しいスケールであれば、Tender Loving Care 「いつくしみの心」の要素を導入できるということにある。(スモールイズビューティフル再論、第1章「時代」より)』
具体的にそれはどういうもので、どうすれば実現できるのか、難しいところですが、目の前で自分の力で動かせるような適正規模の、持続可能な事業であれば、仕事にも自分自身にも愛情が芽生えるということです。それを実践すれば、スモールイズビューティフルが分かるかもしれません。
シューマッハーは、14世紀からブレーメン市長職をつとめた名家の出身であるユダヤ系ドイツ人でしたが、ナチス台頭によりイギリスのロンドンに移住し、敵国民として居住地からの立ち退きを迫られ一時農業労働者の職についたという経歴の持ち主です。1946年に英国籍を取得して、ドイツ占領地管理委員会の経済顧問に就任しドイツ再建策を立案しましたが、訪問したドイツでは祖国を見捨てた裏切り者扱いされてしまいます。この経験が世界市民的な考え方、持続可能性、東洋思想やガンジー思想への傾注に影響したのかもしれません。彼はシュンペーターやケインズにも師事し、ケインズから高く評価されましたが、英国石炭公社顧問職を20年続け、ビルマ政府から経済顧問に招聘され三か月の滞在中に仏教徒と親交を結んで「仏教経済学」「中間技術」の着想を得たとされています。
彼は述べています。
「ラングーンに着いて二・三週間経ち、いくつかの村や町を訪ね歩いてみて、ビルマ人が自分のような欧米の経済学者からの助言をほとんど必要としていないと悟りました。実は、われわれ欧米の経済学者にはビルマ人から学べるものがあります。ビルマ人は高度に発達した宗教と文化をささえる完璧な経済制度をもっているし、自分たちを養うに足りる米だけでなく、インド市場向けの余剰米も持っています。(スモールイズビューティフル再論、まえがきより)」
スモールイズビューティフル第3部第1章「開発」では、多くの発展途上国で「二重経済」が進行していると述べられています。「二重経済とは、豊かな人と貧しい人に分かれていても暮らし方は同じという経済ではない。別々の生活様式が併存していて、片方のグループの中の最下層の人ですら、もう一方のグループの中の稼ぎ頭の収入の何倍ものカネを毎日使っているような不均衡な状態のことである。」このような途上国に先進国の技術をそのまま持ち込んでも二重経済を拡大させてしまうだけだというのです。
「スモールイズビューティフル再論」は、社会変革雑誌「リサージェンス」にシューマッハーが1966年から1977年に寄稿した論文をまとめ、また、「仏教経済学」と「新しい経済学を」を「スモールイズビューティフル」から再録して1997年に出版されたエッセー集の邦訳です。「再論」の方が雑誌向けの短い論文集であるため読みやすく、また、最晩年の論考が入っているのでお勧めです。
Each is a universe.
宴のあとの経済学(GOOD WORK)の最後は、Each is a universeという文章で終わっています。人を、人口調査のように人数をカウントして扱うのは誤りであるという戒めです。もちろん一人当たりGDP(各人の収入)を計量することも誤りでしょう。ひとりひとりに目を向け、Tender Loving Careを与えなさいというこです。
形而上学の再構築
シューマッハーは、産業革命以後の19世紀思想、それは科学的唯物論と呼ばれるものですが、伝統的な哲学(観念体系)を架空の形而上学(metaphysics)として否定しておきながら、自分自身が新たな形而上学に過ぎないと論破しています。
「いったいどうしてこんなことになってしまったのだろうか。それは、形而上学を無用だと主張する19世紀思想それ自身が、悪質の、意気を阻喪させる形而上学だからである。(スモールイズビューティフル第2部第1章「教育」より)」
いわゆる「ミイラ取りがミイラになっている論」です。形而上学をここまで批判分析できてる人って本の中でもリアルでもなかなか巡り合えません。素晴らしいことです。そんなシューマッハーさんがどんな形而上学を紡ぎ出すのか、興味が尽きません。
「心と魂を欠いた十九世紀の形而上学の代わりに、何をもってきたらよいのだろうか。われわれの世代の任務は形而上学の再構築だ、と確信する。(スモールイズビューティフル第2部第1章「教育」より)」
正しい土地利用
スモールイズビューティフル第2部第2章「正しい土地利用」には農業の目的は3つあると言います。
- 人間と生きた自然界との結びつきを保つこと。
- 人間を取り巻く生存環境に人間味を与え、これを気高いものにすること。
- まっとうな生活を営むのに必要な食料や原料をつくりだすこと。
なんと、現代人は3番しか認識してませんでしたが、1番と2番も大切ですし、都会人の我々もそこにコミットしていく必要がありそうです。
新しい所有の形態
資本主義と社会主義のイデオロギー対立が激しかった1970年代のひとつの思索の到達点としてシューマッハーは「新しい所有の形態」をスモールイズビューティフルの最終章で提案しました。
- どんな企業でも、従業員の数が一定の限度を超えると、私企業、個人企業の性格を失って実質的には公企業になる。
- 一定規模以上の公企業は株式会社でなければならない。
- 会社の株式全部を、アメリカ式の無額面株式とする。
- 発行済み株式と同数の新株を発行し、公共機関が保有する。公共機関は議決権のないオブザーバーを取締役会に派遣し、公共の利益に照らして必要と判断された例外的な場合には一時的に議決権を行使する。公共機関は法人税の代わりに株式配当金を受領する。
皮肉なことに21世紀の量的緩和策のひとつとして日銀がETF購入を行っており、主要上場企業の1割程度の株式を保有するに至っています。図らずもシューマッハーの提案に近いことが現実化しているのです。ただし現代日本では法人税は課されているままです。
1973年にスモールイズビューティフルが出版され石油ショックが起きた時代と、大規模ハリケーンや台風や洪水の被害にあっている21世紀の我々の時代は類似性があります。
シューマッハーと弟子のジョージマクロビーが始めた実践は、practical action として継続しています。
※参考書籍
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