グレゴワール・シャマユー「人間狩り」
ウクライナ戦争中に読むと非常に印象深い書籍です。序論に書いてあります。
本書では、人間狩りを隠喩として理解してはならない。
比喩じゃないよ、本当に狩るんだよ
ということでございます。はい、ウクライナの映像を見ると本当に狩ってますね。人間狩りは、古代ギリシアで最初に理論化され、近世以降、環太西洋資本主義の発展に応じて驚くべき飛躍を遂げました。狩りには、追跡して捕獲する狩りと、追放する狩りがあります。それは相互に補完関係にあります。人間狩りには、ある者が狩られ、別の者は狩られないという区別を規定する被食者に関する理論が伴います。人間狩りの無常の喜びは、狩られるものが実際に人間でなければ台無しになってしまうのです。
シャマユーが紹介する人間狩りの歴史を列挙します。
- ギリシアのポリス(都市国家)の豊かな物質的生活は奴隷労働に依拠しており、奴隷獲得の人間狩りに依拠していた。ギリシア語文献では、奴隷を「二足歩行の雄牛」「生きた道具」と表現された。
- アリストテレスは「政治学」で「奴隷を獲得する術、すなわち正統な仕方で奴隷を獲得する術は、(中略)一種の戦争術もしくは狩猟術である。」と述べた。
- スパルタでは長い教育期間のなかで、若い戦士たちは田舎に派遣され、クリュプティアという特殊な狩猟パーティーに参加した。日中は人目につかない場所で身を潜めて休息し、夜になると道路に出て不意を突くことができたヘイロタイ(奴隷民)を殺した。
- 旧約聖書の「創世記」にはバベルの塔建設者の孫ニムロドの物語が伝えられている。「彼は地上で最初の勇士となった。彼はヤハウェの前で狩猟の勇士となった」、注釈書には「狩人という言葉で聖書は動物を狩る者ではなく人間を狩る者を指し示す」と説明された。
- 1329年シモン・ロランが異端審問にかけられて受けた有罪判決は、キリスト教の司牧活動による狩りが行われていたことを示す。異端者は、伝染病にかかった羊であり、異端者の狩りは、神のしもべである羊の群れを保護する名目で展開された。
- アメリカ大陸発見後の新世界征服は、先住民を皆殺しにして領土を征服する形で行われた。奴隷は自然に基づく先天的奴隷であり、野蛮な状態を脱し文明化された君主や民族に従属することができますが、それを拒否するなら、武力によって強制的に従わせることが許されると理論化された。
- 1440年、アントワーヌ・ゴンザレスがギニア湾沿岸に降り立った時、ヨーロッパ人による黒人狩りが始まった。やがて黒人狩りは、現地の黒人が実行するようになった。
- 1802年、ハイチのサン=ドマングの反乱は、狩る者と狩られる者が逆転し得ることを示した。弁証法は、捕食関係の逆転ではなく破壊の可能性を示した。
- 17世紀にヨーロッパでは慈善の名の下に貧民狩りが開始された。それは警察による狩りの始まりだった。
- 1934年、黒人の小作人クロード・ニールは、19歳白人の娘の殺害容疑で逮捕されたが、群衆により身柄を奪われ私刑リンチを加えられた。権力から独立して人間狩りをする集団が存在するのだ。
- 1893年、エグ=モルト近郊で起こったイタリア人労働者とフランス人労働者の衝突は、外国人狩りの民衆暴動であった。
- 1320年、ラングドック地方に送られた十字軍はユダヤ人狩りをして洗礼を強要した。
- 21世紀に入っても、無国籍者、不法滞在者への狩りは継続している。
最近読んだ、芝崎みゆきさんの「古代マヤ・アステカ不可思議大全」と「古代インカ・アンデス不可思議大全」に出ていたスペイン人の大虐殺は、そういう理論構成で行われたのかと納得してしまいました。相手を異教徒、自分達とは違う人間とみなすことにより、信じられないような野蛮なことができてしまうのです。狩る者の自己正当化は、責任を相手に転嫁することで行われます。「狩ってくれと言われたから狩っているのだ」というような話です。もうこれは何でもアリということですね。21世紀にも人間狩りは継続していますから、せっかく人類が発明した弁証法を使って、現状認識把握し、人間狩りを超克していきたいものです。
※参考記事
カンパニースレイブ
ハリエット・タブマンの物語
ガッツだぜ!
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