オラウダ・イクイアーノ:アフリカ人、イクイアーノの生涯の興味深い物語
THE
INTERESTING NARRATIVE
OF
THE LIFE
OF
OLAUDAH EQUIANO,
OR
GUSTAVUS VASSA,
THE AFRICAN.
WRITTEN BY HIMSELF.
1745年に、現在のナイジェリアにあたる地方のイボ族の首長の7人の子どもの末息子として生まれたイクイアーノは、11歳の時に妹と一緒に誘拐され、アフリカ人の奴隷にされた。奴隷船に乗せられ、西インド諸島のバルバドス島に上陸して、北米ヴァージニアの植民地経営者に買われた。
1755年、イギリス海軍のパスカル船長に買われ、12歳で初めてロンドンの地を踏む。パスカル船長の親戚のゲリン姉妹にかわいがられた。アメリカ東海岸でフランスとイギリスが争ったフレンチインディアン戦争に従軍した。
1759年、ロンドンに戻り、ゲリン姉妹のもとで働く。学校に通い、ゲリン姉妹の仲介で、ウエストミンスターの聖マーガレット教会で洗礼を受けた。
1763年、クエーカー教徒の商人ロバート・キングに買われ、トマス・ファーマー船長に従って貿易活動に従事した。自分自身の商品も仕入れて販売して稼ぎ始めた。
1766年、7月10日にモントセラト島でキングから自由の身分を買い戻し、解放証明書manumission を取得し、自由黒人として働き始める。
1767年、キングのもとを離れ、バハマでの監禁や難破を経て、ロンドンへ戻る。
1768年、海水を蒸留して真水に変える実験で知られるチャールズ・アーヴィング博士の下で働き始めた。
1773年、アーヴィング博士と共に北極航路を探索する遠征隊に参加して、海水蒸留作業を手伝った。船は一時流氷に囲まれ難破寸前まで行ったが、風向きが変わって生還した。北極からインドへ抜ける航路は存在しないことが証明された。
1775年、モスキート海岸で農園を開発するアーヴィング博士の計画に参加したが、2年で辞してロンドンに戻った。
1786年、貧困黒人シエラレオネ移住計画の執行代理人に任命される。
1789年、「興味深い物語」を予約出版。フランス革命はじまる。
1792年、4月7日ケンブリッジシャーのセントアンドリュー教会でイングランド人の白人女性スザンナ・カレンと結婚。
1793年、長女アナ・マリア誕生したが、1797年死去。
1795年、次女ジョアンナ誕生。
1796年、妻スザンナ死去。
1797年、ロンドンにて死去。
1807年、英国議会で奴隷貿易廃止法案可決。
これはいわゆる奴隷体験記とよばれる文学分野の最初にして最高傑作と言われているものです。現代のノーベル文学賞の作品なんかとは比べられないような重要な作品です。ノーベル文学賞10個分と言ったら分かりやすいでしょうか?
11歳の時に拉致されてアフリカ、西インド諸島、イングランドへと売り渡されて働かされたのですが、偶然の出会いから英語とキリスト教の勉強をして、航海術と貿易の仕事を覚え、勤勉に働いて21歳のとき自分自身の自由を買い戻すことに成功します。そして、聖書の言葉と奴隷貿易が矛盾しているということにいち早く気付き、これを英語で主張し続け、自伝も出版することにより、英国議会の奴隷貿易廃止法案へと繋がっていったという話です。聖書の教えに忠実に生きる、というクエーカー教徒の考え方が奴隷解放に作用していたことが分かります。
キリスト教徒でなくても、この本に書いてある言葉には驚かされ、胸を打たれます。現代的視点からみれば、いわゆる私小説に分類されるものですが、その体験が重すぎます。当然と思われている常識を打破することの難しさが分かります。それはAIバイオ革命に直面している21世紀の我々のシンギュラリティ革命対策にもきっと役立つことでしょう。
いくつかご紹介いたします。
・わたしがここへ連れてこられた船の男性用の部屋には、何組かの兄弟がいたことを覚えている。しかし、彼らは別々のグループに入れられて売られていった。彼らが別れるときの泣き叫ぶ姿は非常な哀れを感じさせるものだった。おお、名ばかりのキリスト教徒よ!こんなことを神から学んだのかと、アフリカ人の誰かがおまえたちに尋ねなかったか?
・夕食をつくっていたそのかわいそうな女性は、残酷にもいろいろな鉄の器具を身体に着けさせられていたのだ。とくに頭に着けていたものは、しっかりと彼女の口を固定していて、ほとんど話もできなければ、食べたり飲んだりもできないほどだった。わたしはとにかくこの仕掛けに驚きショックを受けたのだが、のちにそれは鉄口輪マズルと呼ばれるものだと知った。
・わたし自身もエトナ号で底荷を下ろしているときに、上甲板から後部船倉に真っ逆さまに落ちたことがある。落ちるのを見た者はみんな、わたしが死んだと思って声を上げた。しかしわたしは少しも怪我しなかった。同じ船では、帆柱の先から甲板に落ちたのに怪我しなかった男もいる。このような事例はほかにもたくさんあるのだが、わたしはそこに神の手をはっきりとたどることができると思った。神の許しがなければスズメだって落ちたりしない。それまで人を恐れていたわたしは、神のみ恐れ、毎日その名を畏敬の念をもって唱えるようになった。
・ドラモンド氏という人がわたしに語ったところによると、彼は4万1千人の黒人を売ったことがあり、逃げ出さないように黒人の男の足を切り落としたこともあるという。わたしは彼に尋ねた。足を切り落としたときその男は死ななかったんですか?どうやって神の前でキリスト教徒としてそんな恐ろしい行為をおかした責任をとるんですか?
・主人は、あんな約束しなければよかったともう一度言った。そして、お金を受け取ってから、登記所の書記官のところへ行って奴隷解放証明書を書いてもらえと言った。この主人の言葉はわたしにとって天国からの声のようだった。一瞬にして、それまでの狼狽が言葉にならない無上の喜びに変わった。
・ジャマイカはとても美しくて大きな島だった。たくさん人が住んでいる、西インド諸島のなかでもっとも人口の多い島である。この島には黒人も大勢いた。彼らは例によって白人からはなはだしく迫害されており、奴隷たちが懲罰されるのはほかの島と同じだった。この島には奴隷を鞭打つのを仕事とする黒人がいる。
・そのころの唯一の慰めといえば聖書を読むことだった。そこで出会ったこの一節、「太陽の下、新しいものは何ひとつない」。この「伝道の書」コヘレトの言葉、第1章9節の言葉こそ、わたしが従うべきものとして定められたものだった。
・わたしは、激しい苦しみにもだえながら神聖なる創造主に願った。ほんの少し時間をください、自分の愚かな行為と下劣な不正の数々を悔い改めるために、と。すると主は、大いなる慈悲によって願いを聞き入れてくださった。わたしは眠りから覚めたとき、神の慈悲を受けているという感覚があまりにも強く感じられたので、そのあいだしばらく身体にまったく力が入らず、ぐったりとしていた。これが、わたしが感じることのできた初めての霊的な慈悲であった。
・わたしはまったく不信心であると感じた。せっかく授けてもらった能力をどれほど悪用してきたのかはっきり分かった。それは神をたたえるために与えられたものなのだ。
・わたしの強い願いは一日中うちにいて聖書を読んでいることだった。しかし、静かに一人になれる好都合な場所がなかったので、堕落した者たちのなかで暮らすのはやめて、その日のうちに下宿を出ることにした。そしてその同じ日、外を歩いていると、神がわたしをある家に導いてくれたのである。
「太陽の下に新しきものなし」、意味が分からず、思わず旧約聖書の解説を調べてしまいました。どうやら、地上の世界では歴史が繰り返されているだけで、人間界には救いは無いよ、天上の神の世界に救済を求めなさい、従いなさい、ということのようです。
イクイアーノによると、彼が11歳で拉致される前に生まれ育った社会と、旧約聖書の族長時代の社会には強い類似性が認められるということです。アフリカのイボ族と古代ヘブライ人は同じ起源を有するのではないかという考えを提起し、同趣旨の学者の説も引用しています。欧州人も赤道直下のアフリカで生活していると日焼けして肌が黒くなると観察し、アフリカ人が欧州人に比べて劣っているという考えは偏見であり、奴隷制度は旧約聖書の創世記に書かれた神の教えに反すると気付いたのでした。アフリカ人と欧州人が同じ起源を持つということは、20世紀の遺伝子解析で証明されていますが、18世紀の時点では少数意見でした。人類学的な洞察と聖書読解により、彼はこの結論に到達していたのでした。
どうでしょう、このイクイアーノという人物は、正直に真摯に熱心に、歩み続けることにより周りの人間を変え、最後にはイギリス議会まで動かしてしまったのです。1780年代の英語の本ですから著作権は切れているのですが、日本では翻訳が必要なのでなかなか普及していませんね。イギリスやアメリカでは教えているのかもしれませんが、日本の義務教育や高校では教えてくれてませんね。大学でも英米文学科とかに行かないと巡り合えないのかもしれません。
※英語wiki
※著作権切れ英語原著(Project Gutenberg、英語版青空文庫)
※参考サイト
※参考記事
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