主人の顔の皮を剥ぐ

菅野覚明、武士道の逆襲

この逆襲というのは、農学博士新渡戸稲造が紹介した「明治時代の武士道」によって誤解された江戸時代までの伝統的な「本当の武士道」が、山本常朝「葉隠」の読解を通して逆襲し、「誤解を解く!」という話なんですね。「明治武士道」と「本当の武士道」は全然違うぞ、というのがこの本のテーマです。その中で非常に興味深い話がありましたので御紹介致します。日本人がシンギュラリティを乗り越える場合は、この本当の武士道精神が非常に役立つものであると思います。

葉隠、聞書十-五七

顔面の皮の剥ぎやうの事。顔を竪(たて)横に切裁ち、小便を仕懸け、草鞋(わらじ)にてふみこくり候えば、はげ申候由、行寂和尚京都にて承り候との咄(はなし)也。秘蔵の事也。

なんと、これは戦場において主君が討たれてしまったときに、証拠の印である大将首を敵に取られないために、主君の顔面の皮を剥ぐ作法を記しているのです。信長が本能寺の変の時に本能寺に火を掛けて首を明智光秀に渡さなかった逸話を思い出しました。

本当の武士道というのは、明治時代に世界に宣伝された精神性の高い「bushido」とは無縁の生々しい生き様でした。江戸時代まで、領土を守り、治安を維持するとは、まことに大変な仕事だったのです。いわば「人を殺すのが仕事」というわけなんですね。

葉隠、夜陰の閑談(前書き部分)

修行は大高慢にてなければ、益(やく)に立たず候。我一人にて御家を動かさぬ、とかからねば、修行は物に成らざる也。

武士道精神は、大高慢の心意気なんですね。

これ、現在進行中の破壊的イノベーションと同じことです。破壊的イノベーションは世界中の「サムライ」が行っていると言えます。

それならば、毒を以って毒を制する、本当の武士道を学び、同じ勢いで21世紀のゲームチェンジに対抗していく必要があるでしょう。シンギュラリティを乗り越えたければ本当の武士道を学べ!

※参考記事

本当の武士道

アンチ司馬遼太郎

正しい狂気

AI世界秩序(前半)

 

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