イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリさんの最新作「21レッスンズ-21世紀の人類のための21の思考」、読み終わりました。管理人の読解を提示致しますので各自読んでみて下さい。
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19、教育
人類は前代未聞の革命に直面しており、昔ながらの物語はみな崩れかけ、その代わりとなる新しい物語は、今のところひとつも現れていない。そのような時代に教育に求められるのは、精神的柔軟性レジリエンスだ。情報を詰め込んだり、技能を習得させることに専心している教師自身が旧時代の教育制度の産物である。15才の子供への助言は、大人に頼りすぎるなということだ。我々は、人間がハッキングされる時代を生きている。多少でも支配権を残したければ、自分自身のオペレーティングシステムの動作をもっと良く知る必要がある。
20、意味
サピエンスは物語を求める動物である。物語があなたを規定し、あなたの人生に意味を与える。輪廻転生、ナショナリズム、共産主義、「何かを残す」、恋愛ロマンスなど、さまざまな物語がある。物語に根拠は不要だし、矛盾していても構わない。虚構の物語=神話を現実として信じ込ませるために儀式と犠牲が必要だ。人は、同時に複数の物語を信じる。我々は、自分の欲望や意志を選択することができない。それに気付けば、自分の意見や感情や欲望に前ほどこだわらなくなれるはずだ。それは単なる生化学的な揺らぎに過ぎないのだ。フェイスブックやインスタグラムは、自由主義者である我々の神話創作の一部を担っている。古代仏教は、自由主義をつきつめて、自由意志のドラマは存在しない、人間の感情にも人生にもまったく意味は無いと宣言した。しかし物語の否定を社会的な活動にするとそれ自体が物語化してしまうので注意が必要だ。政治家が次の4つの言葉「犠牲」、「永遠」、「純粋」、「救済」を使う時には特に注意してほしい。そのようなときには、現実の苦痛に注意を向け、それが何なのかを調べて欲しい。
21、瞑想
ティーンエイジャーの筆者は様々な物語が虚構であると気付いたが、どうすれば真実を見つけ出せるか見当もつかず悶々としていた。大学では、いくつかの強力な道具を得ることができたが、次第に専攻分野を絞るように求められ辟易した。そんな時、著者は友人の勧めでゴエンカのヴィパッサナー講習を受講し、「何もしてはいけません。息をコントロールしようとしたり、特別な息の仕方をしようとしたりしないでください。それが何であれ、この瞬間の現実をひたすら観察するのです。息が入ってくるときは、今、息が入ってきていると自覚するだけでいいのです。息が出ていくときには、今、息が出ていっているとだけ自覚します。そして、注意が散漫になり、心が記憶や空想の中を漂い始めたら、今、自分の心が息から離れてしまったことを、ただ自覚して下さい」と教わり、驚愕した。それ以来、著者は毎日2時間の瞑想を日課とし、毎年1ヶ月か2ヶ月の瞑想旅行に行くことにしている。瞑想は現実逃避ではなく、現実と接触する行為である。とはいえ、世の中を変えるためには行動を起こす必要があり、そのための組織に加わる必要がある。瞑想だけでなく、セラピーや、芸術や、スポーツでも同様の効果が得られることもある。あと数年あるいは数十年、アルゴリズムが我々の心を完全に操作するようになるまでは、そのようなチャレンジが可能である。
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とうとう来ました、最終第5部、レジリエンス。これは心理学で、社会的なストレスに対応するための、回復力や復元力や弾力性や柔軟性を意味するのだそうです。
19章の「教育」は、全ての子どもをもつ親御さんに興味津々の項目ですね。何を子どもに教えるべきか、どのような教育を受けさせるか、これを真剣に考えながら読みましょう。ハラリさんの意見を参考にして、夫婦で議論し、親戚や知人とも沢山議論して教育方針をブラッシュアップして下さい。
20章「意味」は、すごい内省が深くて驚きました。20章を読むだけでもこの本を読む価値があると思いました。逆にいうと、この20章は簡単に読めないと思いました。まさに物語を学びつつある中高生には難しいのではないか。内省の旅が深すぎて著者の思考について行けないのです。だから、20章は行きつ戻りつ、時間をかけてゆっくりと何度も読むことを推奨します。
21章「瞑想」は、ハラリさんの自叙伝です。極端に言えば20章までは「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」の焼き直しとも言えますが、21章は初披露の私小説みたいなもので、著者の大サービスということになります。「最後まで読んでくれてありがとう!」ということかもしれません。ハラリさんの思考スタイルがどうして現在の形に至ったのか体験に沿って著述されています。なるほどそうか!目から鱗が落ちる内容です。特に感心したのは、「毎日2時間の瞑想と、年間1~2ヶ月の瞑想旅行」です。これはなかなか真似ができませんね。しかし、21世紀の大変革を乗り越える思索を獲得するために、そのように実践している人が居るという事実を受け止めましょう。例えば学生の夏休みなど長期休暇で、クラブ活動や観光旅行などで忙しくスケジュールを入れてしまうことは「勿体ない」ことかもしれません。「ぼーっとして、心を空っぽにする」時間が必要かもしれないのです。
※参考記事
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